おはようございます😄映画レビュアーのあーさんです。
今回は2024年10月11日より劇場公開された映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を鑑賞して参りましたので、その評価&感想記事となります。
今回は非常にジャッジが難しい作品でした。
作品の完成度・品質については高いです。しかし観客の心に響くものが込められていたかと問われると首を横に振りかける自分がいます。
駄作じゃないのは間違い無いです。
失敗作と呼べるような要素はない。問題作でもない。
2時間オーバーの上映時間をスクリーンに集中できるだけのクオリティはございます。
それでも傑作だった。面白かったとコメントに悩む自分がいるのは前作『ジョーカー』が残した呪いなのかもしれません。
あまりに傑作すぎた衝撃作の続編となった本作品は前回とは異なる形で心に「何か」を残す作品です。
その何かは人によりけりでモヤモヤかもしれないし、スッキリ感かもしれません。
私はどちらかというとモヤモヤかな?
でも、納得感もあるし悩ましい・・・
今回は絶賛でもないし、酷評でもないどっちつかずのレビュー記事となりそうです。
それではそろそろ本編へ行きましょう。
評価まとめ
作品の完成度・クオリティに関しては不評する要素はないです。
しかし、問題となるのはスコアシートでも判断を???とした「テーマ・メッセージ性」の項目。
ここが判断に困る!非常に困る!!
第1作「ジョーカー」は理不尽な現実の代弁者としてアーサーがジョーカーとして覚醒していくプロセスを描いた怪作でした。
対して続編となる本作は代弁者として祭り上げられたアーサーの顛末が描かれたわけで、その終着点の是非に賛否が巻き起こっているという現状。
第1作目を熱烈に支持していた人ほど本作に怒りを覚えるのも無理はない筋書きとなっていて、このようなストーリーラインにした監督の意図が気になってしまいます。
満足度:星:7
作品の完成度は結構高めなスコアを記録しましたが、主観的な満足度に関してはというとそこそこです。
高くもなく低くもなく星7/10の評価。
前半はすごく良かったですよ!傑作の香りが漂う前半戦でアーサーとリーの出会いがロマンチックに描写されていてラブロマンス的なテイストもあって後半への期待感が鰻登り状態。
しかし、問題は後半戦です。
前半に煽った期待感。前作で熱烈な支持を得た新しい「ジョーカー像」。
これらをものの見事に異なる角度で打ち抜く作劇が観客の前に降り立つのです。
正直戸惑う。困惑する。
これが前作で得た評価に対するアンサーなのか!?トッド・フィリップス監督!?
なぜ賛否が渦巻くのか・・・
前作『ジョーカー』の評価は凄まじかった。
自身の感情に関わらず笑ってしまう発作が起きる情動調節障害を主人公に据えるという采配。社会的弱者が強者の食い物にされる構図に「ジョーカー」という劇薬的アプローチで立ち向かう作劇。
これらは批評家からも高い評価を得り、一般客層に響くものでした。
というか響きすぎた面もあり🇺🇸米国の劇場ではジョーカーの笑いに呼応して高笑いする観客が確認されたり、荷物検査が必要となったりと社会に与えた影響は計り知れない作品。
そんな前作の評価を踏まえた上で制作された本作品。
ジョーカーの信者を複数生み出したのか炙り出したのかどっちかわからない前作とは異なり、支持者の熱を覚ましてしまうリアクションが予想できる作風に仕上がっている。
私としてはその作風には納得いきます。同時に前作の魅力であった持ち味までオミットされているのはなんだかショックなんですよね・・・
前作はどこまでが現実で、どこからがアーサーの妄想なのか不明瞭な部分が最たる魅力に感じました。こちら側観客の解釈に委ねられているキラーパス感が堪らなくていくらでも思考できる余地があるのが前作『ジョーカー』の魅力。
続編となった本作品はアーサーの妄想シークエンスはかなりわかりやすい。ミュージカル要素を採用したことで露骨にこのシーンはアーサーの妄想なんだとわかります。ミュージカル要素を採用した背景には収監されて衣装の自由がないアーサーにジョーカーとしての出番を序盤から設けるための措置だということは察することができるのですが、如何せん前作にあった不親切だけど味わい深い虚と実のグラデーションという美味が喪失されてしまっている点に関しては如何なものかと意義を唱えたい。
高評価ポイント:芝居 星*11
やはりホアキン・フェニックスの芝居は凄い!
顔の表情筋が常人の1000倍はあるんじゃないかと思えるくらい表情豊か。表情筋だけでなく顔の皺さえ操っているんじゃないかと思わせるほど顔面の情報量・密度が桁違いです。
また、ホアキンと肩を並べたレディ・ガガ。
彼女もクレイジーなリーという役を全うしていました。歌唱力もさることながら何考えているか心の内側が全く見えない・見せてはいけない難解な役を見事にやり切ってくれました。
アーサーはなんとなく納得というか共感が抱けるキャラクター造形をしている。対してリーは共感を抱くのが困難で妖しい雰囲気が常に溢れるミステリアスな女性。
製作陣がジョーカーの相方となるリーのキャラクター造形をアーサーを振り回せるデンジャラスな人物像に設計したのもナイス采配ですが、そのキャラクターオーダーにしっかり応えるレディ・ガガも恐ろしい限りです。
高評価ポイント②:映像美・撮影技術 星*10
本作の前半戦は殺風景な刑務所がメインスポット。
視覚情報を彩る豊かな情報源が不足するロケーションです。それを補うために大活躍していたのがスポットライトなどを活用した色彩豊かなライティング処理!
明暗・光と影・ライトのカラーリングを制することで生まれる演出効果は絶大で殺伐な刑務所でもアーサーとリーのラブロマンスを表現するだけの効果を十二分にもたらしてくれています!
このライティング処理は後半戦のメイン舞台となるゴッサムシティの方でも有効活用されていて本作を象徴する演出の一つでしたね。
また、撮影技術の方でも長回しの1ショットシーンが目立っていました。
カメラから逸らすことなく捉えたまま刑務所の廊下という狭いロケーションを移動するシークエンスは一体どうやって撮影したのでしょうね?想像するだけでも楽しくなってきます。
評価が困難:テーマ・メッセージ性
本作が前作『ジョーカー』が引き起こした社会現象に対する火消しをテーマ・目的とした作品であった可能性があります。社会的に影響を与えてしまった尻拭いとして本作をリリースした。そう考えると本作品が帰結したラストには納得いくものがあります。
しかし、同時に監督はそんなこと意図していないんじゃないかと勘繰ってしまう自分もいます。
監督はアーサーというキャラクターと誠実に向き合い、アーサーを愛しているが故にジョーカーとして祭り上げられてしまった彼がその後どうなったのかを第2作目で描いただけなんだと思います。
彼は一貫して社会的に立場の弱い人間で、たまたま世の中の理不尽に異を唱える手段=🔫を入手してしまった。その武器を振るう機会に恵まれてしまった。運の巡り合わせに翻弄させられただけの人物だったんじゃないでしょうか。
『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』はキャラクタームービーだった?
この映画はキャラクタームービーである。これも一つの解釈として成立する。
だから、そこまで深いテーマやメッセージ性はない。前作の評価・評判によって発生したジョーカー予備軍を鎮圧する意図は込められていない。
純粋にアーサーの人生を描いた人物譚。様々な巡り合わせ(=ある種の主人公補正と呼べば良いのかもしれない)によってコメディアンから世の中の理不尽に対する代弁者:ジョーカーとして祭り上げられた男がアーサーが辿り着いた山頂の頂から下山する物語である。
第1作目が登頂から山頂までの道のり。
第2作目となる本作が山頂から麓までの下山の道のり。
感想(⚠️ネタバレ有り)
クライマックス=核心部分には触れずにライトな感想コーナーですが、ここからはネタバレ要素を含みますご注意ください。
OPの「アレ」が意味していたものとは・・・
本作品のイントロは昔懐かしいワーナーブラザーズ製のアニメーションパート。
ジョーカーとジョーカーの影が衝突を繰り返すコメディタッチの作風。しかし風刺が強いというかメッセージが色濃くてコメディ要素ではカモフラージュしきれない(というか隠す意思は最初からない)本作品の主題が滲み出ていました。
ノック・ノック
ジョーカーとして祭り上げられた男がこの問いにどう答えるかが本作が目指していたゴール地点であることがこんなにも序盤から明示されているんですよね。
前作のわかりづらいというか解釈の余地がありすぎる作風とは打って異なる開幕に面食らってしまう冒頭でした。
同時に影がジョーカー上映後に社会現象として起きたムーブメントのメタファーのような気もして本作品がそんなムーブメントと戦う作品であることも推察できます。
ハーレイ・クインの発言はどこまで嘘だったのか?
アーサーに嘘がついていたことが発覚してしまう面会でのシークエンス。リーことハーレイは妊娠したと言いました。
私はこの発言も嘘なんじゃないかと睨んでいます。
アーサーとの距離をキープするために出した切り札のようでいて根も歯もない出まかせ。
劇中の描写を見ると真実か嘘か断言できないのですが、この女ならこのタイミングで妊娠している発言しても不思議ではないので私は嘘であったに1票投じます。
前作では観客はアーサーの妄想に振り回される形でしたけれど、今作ではリーの発言にアーサーも観客も振り回されるアプローチになっている点は面白いですね!
アーサーの心にスイッチが入ったのは何故なのか?
弁護士をクビにして自分で弁護をした初日での刑務所でアーサーに待ち受けていたのは言葉にするのも恐ろしい展開でした。
その展開に意義を唱えた少年の命が散った後に、アーサーは妄想シーンに突入。トイレでメイクを落としジョーカーからアーサーへと戻るシーンが描写される。
その後、アーサーは法廷で自分はジョーカーではないと言い放ってしまう。
個人的にこの展開の唐突感は否めなかった。なぜ、アーサーはジョーカーであることを貫けなかったのか。自分を慕っていた少年の末路に心動かされるものがあったのか・・・
う〜ん、納得できる理由が見当たらない🤔
あれだけ社会に影響を与え自身の熱狂的ファン・フォロワー・信者がいる事実を目の当たりにしているのに少年との別れや看守からの圧力で心が折れるものなのだろうか・・・
アーサーは顔も知らないその他大勢の信奉者よりも求めているものがあった
しかし、法廷でのノットジョーカー発言の後に起きた爆破。爆破後に出会った信奉者の援助を振り切ってリー(ハーレイ)の下にダッシュしたことを考えるとアーサーには大勢で誰かの指示よりも心に寄り添ってくれる深い繋がりを求めていたという結論も導き出せるわけで、彼の人間性を理解しようとしていなかったのは自分であるというオチに至る。
監督が見出していたアーサーという人物像。観客である私が求めていたカリスマ性を覚醒させたジョーカーとしてのアーサーに解釈違いがあったということなんでしょうね。
余談:Q『グリーンランタン』とどっちが面白い?
悪名名高い『グリーンランタン』と賛否両論の『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』。
私の主観では断然『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』に軍配が上がります!
作品の完成度も鑑賞後の満足感。両方とも『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の圧勝です。
『グリーンランタン』が駄作というわけではないです。凡作です。よくあるヒーロー映画のファーストエピソードという文脈で構成され、少々チープな殺陣とシーンのジャンプに粗さが目立つ編集が気になるくらいの作品です。
近々新生DCユニバースにてドラマ版としての『グリーンランタン』が控えているということなので、そちらには大いに期待しています!
終わりに
今回は映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』をレビューしました。
映画鑑賞前にネタバレ抜きの評価を耳にしていたので、期待値低めで行ったのが功をなしたのか期待値以上の満足度は得られた結果に着地できました。
それでも前作の「ヤベェものを見てしまった・・・」感は今回にはないので前作越えの満足度は敵わない形でしたけどね。
前作自体がヒースレジャーのジョーカーとは異なるキャラクター像を見せなくてはいけないハードル。悪役が主役でも物語が成立できるのかというハードル。情動調節障害を持った人物を主人公に据えるというハードルを乗り越えたまさに化け物級の作品だったので、本作品の評価が厳し目になるのは必然。
その厳しい状況の中でもこれだけのクオリティ・完成度の作品を作り上げたスタッフ*キャストの皆さんに拍手ですね。
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