【白い稲妻のルーツ】タマモクロスの父:シービークロス

C.B.Cross 競馬クロニクル

白い稲妻と冠された最初の競走馬:シービークロス。タマモクロスの父として仔に才覚を託し、令和となった現代に白い稲妻という二つ名を継承するに至る数奇な物語。

おはようございます。
ブログ管理人であり、野良プレゼンターの🦉あーさんと申します。

今回はシンデレラグレイについてのちょっとした雑学。
タマモクロスが冠する2つ名:⚡️白い稲妻⚡️について知っておくとドヤれる小話をご紹介しよう。

競走馬の世界でもその名を冠する名馬は存在します。
だけど、タマモクロスではないんだな〜。

タマモクロスのお父さんに当たる名馬:シービークロスが日本競馬史に⚡️白い稲妻⚡️として名を刻んだ第1号なんだ!

そんなわけで今回は名馬シービークロスについてのプレゼン記事。

準備は良いですか?
OK👍それでは参りましょう。

1975年5月5日、北海道浦河町に一頭の芦毛馬が生まれた。

虚弱で、普通の仔馬のように歩けるまで10日もかかった──

でも、彼は成長する。

そして、時を経て競馬場でその名を轟かせるに至る。

時計の針を急速に進め、彼がその名を冠するクライマックスの時についてご紹介しよう。

⚡ 「白い稲妻」⚡

彼の走りを観た記者か観客が名付けた2つ名であり、現代では別のキャラクターに冠される名称。

その名が冠されるようになった契機は1979年・毎日王冠──

最終コーナーで最後方から鋭く差し切って勝利。2000mで、東京競馬場で史上初めて“1分59秒台”を刻む。

白い稲妻と称されるに至ったのはシービークロスが用いた🐎走法・戦術スタイルにあった。

「彼は先行しない。後方一辺倒」

あるレースでは大逃げをする先頭から100m以上離れた状況に追い込まれる。だが、そこから末脚を披露し1着入り。2着に1馬身半差も刻む圧巻のレースを生み出した。

芦毛の体躯から放たれるその急激な加速を⚡️白い稲妻⚡️と呼称するのも納得である。


その強さに相応しい2つ名を得るシービークロスだが、才能が開花するのは少し遅れてのこと。

時計の針を戻して彼のクラシック時代から史実を追いかけていこう。

クラシック時代。クラシック3冠に挑むも──皐月賞5着、日本ダービー7着。有線出走権を獲得するなど菊花賞に挑む準備を整えていたが、直前に体調を崩し断念。

その他にはダービー卿チャレンジTにて2着と健闘するも有馬記念は10着。

クラシック時代は10戦1勝。悔しい結果に終わる。


古馬(シニア級)__ここで彼の才覚が花開く。

金杯(東)、毎日王冠、目黒記念(秋)で勝ち鞍となる。いずれも重賞に位置付けされる格の高いレース。

驚くべきはこの3勝に付属する付加価値である。2連続でコースレコードを更新したのだ。

毎日王冠:1分59秒9
目黒記念(秋):2分32秒3

この成績を受け、彼の代名詞たる白い稲妻の名が誕生したのであった。


だが、シービークロスにとって2連続レコード更新がクライマックスとなってしまったことは悔やまれる。

目黒記念(秋)後に繋靱帯炎を発症し、有望視されていた天皇賞(秋)出走を回避。復帰後も再発を繰り返し、天皇賞春秋に挑む機会こそ掴むも結果は着入りならず。そして1982年に引退。

余談だが、この年の天皇賞(秋)の覇者はスリージャイアンツ。シービークロスがレコード勝利を刻んだ前2走にも出走していた競走馬である。

もしも故障せずにシービークロスが出走していたらどのような結果になっていたのでしょうか・・・?


競走馬としてのシービークロスの物語は1982年に幕を引いた。

「でも──彼の物語は、まだ終わらなかった。」

引退後、誰も期待していなかった🧬 種牡馬生活が始まる。

白い稲妻と呼ばれるほどの強さを誇ったのは引退する2年前。直近の成績は褒められるレベルではなかったことから“🍶酒二升で頼まれた”と言われるほど種牡馬としてのスタートダッシュは難色を示していた。

だが、1984年──タマモクロスを輩出する。
これにより全てが一変する。

GI3勝、年度代表馬。シービークロスが成し遂げられなかった天皇賞1着をタマモクロスはやってのける。

しかも、マイルの帝王:ニッポーテイオー。芦毛の怪物:オグリキャップという傑物と対決した上での天皇賞春秋連覇という快挙を果たす。

シービークロスが故障に見舞われ出走の機会と1着を逃し続けたレースにその血筋を受け継ぐ者が深くその名を刻んだのである。

まさに、世代を股にかけた悲願の達成。

シービークロスが輩出した名馬はタマモクロスだけではない。

ホワイトストーン。イナズマクロス。

彼らも“白い稲妻”の才能を受け継ぐ数々の名馬たちである。血統を受け継ぐものらの活躍によりシービークロスのクライマックスは1度きりで終わらなかった。種牡馬として華々しい活躍を刻んだのでした。

競走馬・種牡馬。両方で活躍したシービークロスは1991417日。

彼は静かに、馬房でその生涯を終える。

彼の物語はここでエンドマークを打たれるはずであったが、そうはならなかった。

令和となってリリースされた『ウマ娘シンデレラグレイ』にて彼と同じ二つ名を冠するウマ娘:タマモクロスの物語が紡がれたからだ。

才覚を仔に託すだけで終わらず、その二つ名まで仔に継承する物語が静かに紡がれたのであった。

残念ながら現在(2025年)、シービークロスの血統を受け継ぎ活躍する競走馬は確認できていない。

だが、その強さと物語が風化していく心配はないと私は考える。

『ウマ娘』があるから。

種牡馬としてシービークロスはその才覚を仔に継承させた。そして、巡り巡ってその二つ名も『ウマ娘シンデレラグレイ』にてタマモクロスに継承されるという数奇な物語が紡がれた。

この物語はここで終わってしまうのでしょうか?

私はまだ続きがあるのでは・・・思えてならない。

いつの日かウマ娘として我々の目の前にシービークロスが姿を現す日が来る。そして、タマモクロスと夢の共演を果たす。

そんなロマンとワンダーを抱ける場所が『ウマ娘』なのだから──


如何だったでしょうか?
今回は白い稲妻と呼ばれた最初の名馬:シービークロスについてご紹介しました。

シンデレラグレイにてタマモクロスがシービークロスと同じ二つ名を冠しているのは紛れもなくリスペクトでしょう。

というわけで、コミックス本編だけを読んでいては辿り着けないネーミングについての小話でした。

それでは今回は以上となります。

このブログでは映画レビューや映画化に値する作品(例:ウマ娘シンデレラグレイ)の紹介を行なっております。他の記事に目を通したり、ご家族や友人に紹介やSNSで拡散していただけると励みになります。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。またのご縁をお待ちしております。

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