2冠馬タニノムーティエの半兄にもち、1973年の天皇賞・秋や1974年の有馬記念などを制した傑物と呼ぶに相応しい名馬。
タニノチカラ!
アプリ『ウマ娘プリティーダービー』新シナリオ「The Twinkle Legends」に姿を表す新ウマ娘はこの方ではないかと予想!

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』の🎞️映画化を心から夢見ています!
ブログ管理人のあーさんです。

2025年2月。アプリ『ウマ娘プリティーダービー』に新風を巻き起こすことを予感させる新シナリオ「The Twinkle Legends」の発表がなされましたね。
詳細発表は2025年2月22日の生放送とのこと。
「ぱかライブTV Vol.50」は2月22日(土)20時に放送!4周年の最新情報などをお届け!
そこで本記事ではキービジュアルに写っている3名の肖像画が一体誰なのか・・・について予想してみたいと思います。
予想が🎯的中しているか否かわかりませんが、こういうのは考えている時間が一番楽しかったりします。

今回。新ウマ娘として姿を現すと予想する名馬はタニノチカラ!
第1次競馬ブームが起きた1973〜1974年。
そのムーブメントに遅れて参入してきたタニノチカラ。歴代最強候補に挙がるほど実力を有する競走馬です。
遅れてやってきたのには訳があって命の危機に瀕するほどの骨折による長期休養を余儀なくされていたからでした。
今回ご紹介するのは競走馬とは切っても切り離せないケガと向き合い、乗り越えて2強と呼ばれたハイセイコーとタケホープに猛追した名馬の物語となります。

それでは前置きはこれくらいにして本編へと参りましょう。
史上最強馬と呼ぶ声も多い名馬タニノチカラ

タニノチカラ。
1969年生まれ。(ハイセイコーやタケホープは1979年生まれなので1歳年上という関係性になりますね)
2冠馬タニノムーティエの半弟にあたり、1973年の天皇賞・秋や1974年の有馬記念などを制した傑物と呼ぶに相応しい名馬。
通算勝利数は13回。生涯出走した24戦の半分以上で1着の栄光を掴んだ実力はあまりに鮮烈である。
2着が5回。3着4回。最も低い着順が4着というのも驚異的だが、その回数も2回だけというのも驚くべき成績だ。
タニノチカラを史上最強の競走馬と評する声が多いのも頷くしかない。
だが、その馬生は決して順風満帆であったとは言えない。
1979年9月〜10月 好調なスタートを決めた2ヶ月

デビューを飾った1971年の9月。3着と上々の結果を叩き出し、続く2戦目で1着と快勝。
兄:タニノムーティエの活躍もあってデビュー前から注目を浴びていたタニノチカラだったが、その期待の眼差しに応えるかの如く実績を積み上げていく。

1971年11月〜1973年6月 骨折による長期休養

順調なスタートを踏み出したタニノチカラであったが、不幸が襲いかかる。
命に関わるほどの骨折を経験し、1年8ヶ月にも及ぶ長期間の休養を余儀なくされる。
同時期地方から中央へと移籍した怪物ハイセイコーの台頭。ハイセイコーのライバルとなるタケホープが東京優駿を制するなど第1次競馬ブームが旋風を巻き起こしており、タニノチカラはこのムーブメントに参加できない辛い状況を噛み締めるしかなかった。
1973年7月〜12月 4ヶ月で掴んだ重賞への道のり

1973年7月。長い休養期間を乗り越え競走馬の世界へと復帰したタニノチカラ。
この時の勝ち星は1971年10月に掴んだ1つのみという状況であった。
だが、タニノチカラは復帰早々に白星を掴み続ける!
首をグッと下げる独特の走行フォームを観客の目に焼き付け、3連勝するのであった。
連勝記録は復帰4戦目のオホーツクHで途切れてしまうが続く朝日チャレンジ Cやハリウッドターフクラブでも白星をあげ、復帰4ヶ月目という驚異的な速度で八大競争:天皇賞・秋への出場権を獲得する。
そして1着を掴んでしまうのだから恐ろしい限りである。
1973年最後のレースとなった有馬記念。ハイセイコーとの勝負が待ち受けていたが、ハイセイコーを警戒しすぎて4着という結果になってしまう。(ハイセイコーの着順は3着)

1974年1月〜12月 2強との最終決戦

6歳を迎える1974年。
初戦こそ1着となるが続くレースでは3連続で2着。9月には3着と悔しい結果が続く。
だが、ここで伸び悩み続けるタニノチカラではない!
秋の京都大賞典からは本来の実力を発揮し堂々の1着を掴むのであった!
2番人気で迎えた有馬記念
年の瀬の12月。第1次競馬ブームを牽引したハイセイコー・タケホープの2頭が引退を表明する有馬記念。
1番人気は長距離レースを主戦場とするタケホープ。逆に長距離での勝利経験のないハイセイコーは3番人気。その間にタニノチカラが位置していた。
この年の年度代表馬であるキタノカチドキは未出走のため、有馬記念は第1位競馬ブームを代表する2強と遅れてやってきた第3の刺客であるタニノチカラの3つ巴となっていた。
試合展開は意外な形となった。
昨年1973年暮れに4着という辛酸を舐めた経験を踏まえて開幕から先行するという策に打って出たタニノチカラ。
策がハマりレース終盤の最終直線でも首位を貫き、そのまま後続のハイセイコーらを突き放してゴールインする。その差は5馬身。圧勝と言えるであろう。
だが、観衆の注目は2位争いをする2強であった。
観客は9度にも及ぶ死闘を繰り広げてきた2頭の名馬の最後を目に焼き付け、1つの時代の幕引きを噛み締めようとしていたのかもしれない。

1975年2月〜4月 引退までの道のり

2強が去った後もターフに残り続けたタニノチカラ。
京都記念・春では63kgもの斤量を背負いながらも1着を掴む。しかも後続に大差をつけての圧勝である。
この勝利を現地で実況していた杉本アナウンサーは「今まで見た馬で一番使った」とコメントを残している。
その後、オープンを制し昨年10月から数えて連続5連勝を積み上げる。
最後のレースとなったマイラーズC。脚部不安を抱えているのにも関わらず出走し3着という結果となり、タニノチカラも引退するのでした。

最後に

いかがだったでしょうか?
今回は遅れてきた第3の刺客こタニノチカラの軌跡をご紹介しました。
軽く主観を述べさせていただきます。面白い!非常に面白い!!
復帰後たった4ヶ月で天皇賞・秋にたどり着くスピード感に恐れ入ります。
3着以内に入り込んだレースの数もおかしいと言えるレベルです。史上最強と評される一頭であるのも頷けます!
2強に引導を渡した有馬記念も印象深い。1位となったのに観客の注目の的は2強が競り合う2位争い。みんな1位のタニノチカラを讃えてやれよ!と思ってしまう。
怪我を乗り越えて2強時代に割って入ってきた傑物なのだから!
肖像画中央のウマ娘はタニノチカラ?

一応予想記事なので、よりピンポイントに予想しておきましょう。
肖像画中央のウマ娘がタニノチカラではないかと思っています。
理由は勘です!
直感・第六感といった方が聞こえが良いでしょうが、格好つけてもしょうがない。ただの勘です!
2強は別記事でご紹介

第1次競馬ブームを牽引したハイセイコーは肖像画右側のウマ娘ではないかと予想しています、。理由は見た目がアイドルっぽいから。
詳しいヒストリーは下記記事でご紹介しています。

肖像画左側はタケホープだと思っています。理由はなんとなくですね。外見だけで判断できる材料が乏しいので理解していただきたい。
下記記事でタケホープの物語をまとめています。こちらも面白いですよ!

それでは今回は以上となります。お時間いただきありがとうございました。


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