この記事はこんな方のために筆をとりました。
『ウマ娘シンデレラグレイ』で日本ダービーを制したサクラチヨノオーの史実での活躍を知りたい。
第4巻以降のサクラチヨノオーの出走がどうなるのか気になる。
という方のための記事。
おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』の映画化を夢見る!ブログ管理人のあーさんです。
本記事の主役は『ウマ娘シンデレラグレイ』第4巻で繰り広げられた最高峰のレース“日本ダービー”で勝利を掴んだウマ娘:サクラチヨノオー。
彼女の出番は第4巻以降、ちらほら登場する程度で出走する姿がなかなか訪れないままコミックスは現在17巻までリリースされました。
そこで私自身、🏇日本ダービーを制した彼女のレース描写が今後どうなるのか気になって仕方ない。
Webやゲーム『ウイニングポスト10 2024』で調べたことを本記事でまとめていきます。
まずは結論からということで、上記表がそのリサーチ結果となります。Webサイト:名馬メモリアルJRA-VAN広場を情報ソースとさせていただきました。
なお、本記事に掲載している表は、上記サイトの表のアレンジ版となっています。騎手などのオリジナルにある貴重な情報をスペースの都合でカットしてしまっているので、是非とも名馬メモリアルJRA-VAN広場のオリジナル版にも目を通していただきたく思います。
それでは前置きはこれくらいにして、サクラチヨノオーの軌跡を辿っていきましょう。
サッカーボーイ=ディクタストライカとのライバル関係
サクラチヨノオー。父にマルゼンスキーを持ち、2歳時点でもその血脈に違わぬ戦績を記録。
“朝日杯3歳ステークス”(GⅠ)を制し、この時点で4戦3勝。1着を逃した“いちょうステークス”でも2着。
8戦8勝を記録したマルゼンスキーの血統馬として、その才覚を証明する。
しかし、最優秀3歳牡馬の座はサッカーボーイ(シンデレラグレイでの名はディクタストライカ)に奪われる。
その雪辱は“共同通信杯4歳ステークス”(GⅢ)で晴らすはずだったが、結果は4着。リベンジマッチとなった“弥生賞”(GⅡ)でついに快勝をもぎ取り、ようやく雪辱を晴らす。
そして両者は“日本ダービー”でも競り合い、ライバル関係と言えるだろう。
世代最強まで後一歩となった皐月賞
サクラチヨノオーのライバルはサッカーボーイ(ディクタストライカ)だけではない。
最も早い馬(ウマ娘)が勝つと言われる“皐月賞”。2番人気での出走となるも結果は🥉3着。1着の座はヤエノムテキに譲ることとなる。
サッカーボーイに勝利し、世代最強の名に王手をかけるもその名を手にするのはもう少し後になる。
メジロアルダンとの接戦を制した日本ダービー
ついにその時が訪れる。
3番人気で訪れた日本競馬最高峰のレース“日本ダービー”。皐月賞を制したヤエノムテキやサッカーボーイ、3戦全て3位以内という脅威を成績を誇るメジロアルダンといった紛れもない最高の競走馬が名を揃える🐎日本ダービー。
サクラチヨノオーはこの傑物との決戦を制する!
ゴール目前、メジロアルダンとの接戦を制して🇯🇵日本の頂に辿り着くのであった!
サクラチヨノオーに起こった悲劇と引退への道のり
日本の頂点に君臨し、世代最強を証明したサクラチヨノオー。しかし、そのクライマックスは長くもたなかった。
後脚部不安を発症していることが発覚し1年間という長期休養を余儀なくされる。
1年の休養を経て、ターフに帰るも出走したGⅠレース“安田記念”・“宝塚記念”は16着という結果に終わる。
その頃、既に世代最強の座を冠するのはオグリキャップとなっていた。サクラチヨノオーはファンの歓喜の声がオグリキャップに降り注がれる中ひっそりと引退するのでした。
最後に
いかがだったでしょうか?
今回はウマ娘シンデレラグレイで素晴らしき走りを披露して日本ダービーを制したサクラチヨノオーの史実を紐解いていきました。
まとめ
再度、サクラチヨノオーの出走レースをまとめた表を見ていきましょう。
日本ダービーまでは🏆1着の記録が目立つ。紛れもない最強馬。しかし、長期休養を余儀なくされた後脚部不安。これによる影響が大きすぎた。ダービーの頂きを掴みながらその後の出走はしょっぱい結果となっている。
誰が書いたシナリオなんだ!?と問い詰めたくなるドラマ性です。
コミックス4巻以降のサクラチヨノオー
因みに📕コミックスでも日本ダービー後、故障の描写があります。それにより出走描写はめっきりなし。イナリワンが勝利を掴む宝塚記念も回想という形であっさり描かれ、サクラチヨノオーが出走していたことをコミックスだけだとわからないように構成されていました。
レース描写こそないが、元気に同期と参拝に行くなどといった姿は確認できます。
シンデレラグレイに登場するウマ娘との対決の多さ
シンデレラグレイに登場するウマ娘の名が多く表に刻まれていることが喜ばしく思います。(ヤエノムテキの画像はない点については、この記事を執筆している2025年2月現在、表紙を飾っていないのでご容赦を)
結構競り合っているといのが史実を紐解いていくとよくわかって、作品をより深く楽しめる材料になりますね。
マルゼンスキーの悲願を成し遂げたという快挙
最終的な引退の道のりに残酷なものを感じてしまいますが、父にあたるマルゼンスキーが成し遂げられなかった日本ダービーに出走し、1着に辿り着いたという事実に素晴らしい物語性を感じられる次第です。
マルゼンスキーが日本ダービーに出走できなかった理由については下記記事マルゼンスキーが日本ダービーに出走できなかった理由を一読していただくと、深く理解できます。
それでは今回は以上となります。お時間いただきありがとうございました。
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