天皇賞に挑んだメジロたち

ウマ娘

1968年~1999年の間に天皇賞に挑んだメジロを冠する競走馬が何名いるか知っているでしょうか?メジロ家にとって天皇賞は特別…この言葉の重みを知るべくリサーチ結果をプレゼン。

おはようございます。フィルム&プレゼンテーションへようこそ!フリープレゼンターの🦉あーさんと申します。

突然ですが、皆さんはこの言葉をご存知ですか?

メジロ家にとって天皇賞は特別

耳にタコができるくらい聞き齧っている方も多いのかな?アニメやアプリなど媒体問わず謳われていますからねぇ~~~。

ここで一つ疑問です。この言葉の意味・重みを十分に理解できる方はこの世界にどれほどいるのか……。あなたは、どうでしょう?理解できていると胸を張って宣言できる側でしょうか?

筆者はお恥ずかしながら、そちら側ではなかった。
ですが、そちら側に踏み込もうと思いました。

というわけで今回はこの言葉の思いを理解できるレポート記事です。メジロが初めて天皇賞の盾を賜り、以降どのような歴史を刻んでいったのか記していきます。

ただのレポートだけというわけでもありません。当ブログ恒例の🪞エミュレートプレゼンversion杉下右京で解説もしていきましょう。声のないテキストメディア。是非、名優:水谷豊さんのお声をイメージしてお楽しみください。
 

以下に、1968年以降の天皇賞に挑んだメジロを列挙していきます。
長いですよ。

1968秋 タイヨウ  4着
1969秋 タイヨウ  1着

1970秋 アサマ   1着
1971春 ムサシ   1着
1974秋 スイセイ  7着
1975春 ジゾウ   16着
1976春 ジゾウ   12着
1979秋 ファントム 2着 イーグル12着

1980春 トランザム 2着
1980秋 ファントム 2着
1981春 ファントム 3着

1981秋 ファントム 7着
1982秋 ティターン 1着 ファントム 6着
1983春 ファントム 4着
1985春 モンスニー 9着
1986春 トーマス  2着 モンスニー15着
1987春 ボアール  7着
1988春 デュレン  3着 
1989秋 アルダン  3着

1990秋 アルダン  2着
1991春 マックイーン 1着 パーマー 13着 ライアン4着

1991秋 マックイーン  18着(1位降着処分)
1992春 マックイーン  1着 パーマー7着
1992秋 パーマー   17着
1993春 マックイーン 2着 パーマー3着
1997春 ランバダ  9着
1998春 ブライト  1着
1998秋 ブライト  5着
1999春 ブライト  2着 ランバート8着
1999秋 ブライト  11着

以上レポート内容でした。多分あっている……筈(突貫でリサーチしたので抜け漏れの可能性はおではない)
 

「天皇賞」はメジロ家の大黒柱であるおばあ様おじい様とおばあ様にとって特別な思い出のあるレース……。

メジロライアンがメインストーリー第1部第1章にて発した台詞です。この言葉の重み、彼女の口から発せられる深みからぼんやりとですが把握はしていました。していたつもりになっていた…と言った方が正確ですね。

どうやら僕は思い違いをしていたようです。理解の方向は合っていた。ですが、不十分であった。

今回のレポートを作成するにあたって思い知らされた次第です。
 

1967年、メジロ牧場がオープン。そして1969年にメジロタイヨウが天皇賞(秋)を性する。

これが全ての始まり。

  • 1969秋 タイヨウ  1着
  • 1970秋 アサマ   1着
  • 1971春 ムサシ   1着

この勝利を皮切りにメジロアサマとメジロムサシが年刻みで天皇賞を制覇し、同牧場に天皇賞の盾を3つ授けることとなります。輝かしい3年間と言えますねぇ。

因みにメジロムサシはメインストーリー第2部に少しだけ言及された🇺🇸米国に挑んだ経歴を持つ競走馬でもあります。
 

しかし、この栄光は3年間で一度ピリオドを打たれてしまう。

  • 1974秋 スイセイ  7着
  • 1975春 ジゾウ   16着
  • 1976春 ジゾウ   12着
  • 1979秋 ファントム 2着 イーグル12着

 

1970年代に後半にメジロスイセイ・ジゾウ・ファントム・イーグルが天皇賞に挑むも結果は振るわず。
 

1980年代に突入し、毎年のようにメジロの挑戦者が現れる中、1982年!一つのターニングポイントが発生します。

  • 1980春 トランザム 2着
  • 1980秋 ファントム 2着
  • 1981春 ファントム 3着
  • 1981秋 ファントム 7着
  • 1982秋 ティターン 1着 ファントム 6着
  • 1983春 ファントム 4着

 

メジロティターン。父にメジロアサマを持つ芦毛。彼が天皇賞(秋)を制覇したことにより父子による連覇という偉業が達成されます。
 

1980年代の天皇賞ウィナーは結果的にメジロティターンだけに終わってしまいました。

  • 1985春 モンスニー 9着
  • 1986春 トーマス  2着 モンスニー15着
  • 1987春 ボアール  7着
  • 1988春 デュレン  3着 
  • 1989秋 アルダン  3着

 

毎年のように挑戦者は現れるも届かない、あと一歩届かない。
 

1990年代に突入。これまで天皇賞に挑んできたメジロは14頭。うち勝ち鞍を上げることができたのは僅か4名。

  • 1990秋 アルダン  2着
  • 1991春 マックイーン 1着 パーマー 13着 ライアン❹
  • 1991秋 マックイーン  18着(1位降着処分)
  • 1992春 マックイーン  1着 パーマー7着
  • 1992秋 パーマー  17着
  • 1993春 マックイーン 2着 パーマー3着

 

しかし、勝ち鞍に名を刻むものが新たに現れます。

メジロマックイーン。

1991年、天皇賞(春)にて5番目となるメジロによる天皇賞制覇を持ち帰るのでした。
 

今回のレポートの最終幕。1990年代にも1名天皇賞の盾を賜るメジロが現れます。

  • 1997春 ランバダ  9着
  • 1998春 ブライト  1着
  • 1998秋 ブライト  5着
  • 1999春 ブライト  2着 ランバート8着
  • 1999秋 ブライト  11着

 

メジロブライト。

父メジロライアンの果たせなかった悲願を達成する。父子連覇・3代制覇。確かにこれらの言葉は甘美ですが…父の無念を晴らすというのもまた良い響きではないでしょうか?
 

さて、このプレゼンも最後の大詰めです。一体何名のメジロが30年間天皇賞に挑んだのかまとめていくとしましょう。

  1. メジロタイヨウ(1968秋・1969秋)
  2. メジロアサマ(1970秋)
  3. メジロムサシ(1971春)
  4. メジロスイセイ(1974秋)
  5. メジロジゾウ(1975春・1976春)
  6. メジロファントム(1979秋・1980秋・1981春・1981秋・1982秋・1983春)
  7. メジロイーグル(1979秋)
  8. メジロトランザム(1980春)
  9. メジロティターン(1982秋)
  10. メジロモンスニー(1985春・1986春)
  11. メジロトーマス(1986春)
  12. メジロボアール(1987春)
  13. メジロデュレン(1988春)
  14. メジロアルダン(1989秋・1990秋)
  15. メジロマックイーン(1991春・1991秋・1992春・1993春)
  16. メジロパーマー(1991春・1992春・1992秋・1993春)
  17. メジロライアン(1991春)
  18. メジロランバダ(1997春)
  19. メジロブライト(1998春・1998秋・1999春・1999秋)
  20. メジロランバート(1999春)

以上20名!

その内勝ち鞍に名を刻めたのは6名。
メジロタイヨウ・アサマ・ムサシ・ティターン・マックイーン・ブライト。

という結果になりました。メジロマックイーンが天皇賞を制するまでには14名。うち4名がウィナーとなり、しかも父と祖父が天皇賞を制していた。

メインストーリー第1部第1章「駆け出しの一等星」で彼女が背負っていたプレッシャーの正体……その重さを僕はこのレポートを作成することで初めて理解することができたと思えます。

メジロ家にとって天皇賞は特別。この記事をご覧になった“あなた”はこの言葉の重みを理解できる側に回りました。おめでとう!・・・と祝辞を述べさせて頂きます。


しかし、喜ぶだけでは一歩足りません。その重みを握りしめて改めてアニメ・アプリ・コミックにて紡がれるメジロ家の物語に思いを馳せてみるのは如何でしょうか?

今回のプレゼンは以上となります。またの機会にお会いしましょう。

ご愛読いただきありがとうございました。

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