【シンデレラグレイ】サクラチヨノオー 日本ダービーまでの軌跡

サクラチヨノオー ウマ娘

おはようございます。
『ウマ娘シンデレラグレイ』の映画化を心より夢見るブログ管理人のあーさんと申します。

今回はシングレの一つの頂きとして描かれたレース:日本ダービーとダービーウマ娘:サクラチヨノオーが主役。

日本ダービーにて1着を掴み同世代最強の座に就いたサクラチヨノオーの栄光を讃えるべく、サクラチヨノオーとライバルたちがどのようなステップを踏んでダービーに挑んだのかご紹介していこうかと。

ダービーで1着という事実だけでも十分凄い。

だが、そこに至るプロセスを深く理解していくことでもっとその凄みを味わうことが叶います。

サクラチヨノオーのクライマックスとなった日本ダービーを最高の形で味わおうというのが本記事の趣旨となります。

それでは本編スタート!

まず前哨戦の存在について把握していきましょう。

GⅠレースに出走するには様々な条件があります。その中でも一番シンプルなものが前哨戦・トライアルレースとカテゴライズされるレースにて上位に着入りすること。これら前哨戦と呼ばれるレースに出走し上位に着入りすることで特定のレースへの優先出走権を獲得できる。

そんなわけでサクラチヨノオーらが史実で出走した日本ダービーの前哨戦はというと皐月賞とNHK杯の2レースが該当します。

『ウマ娘シンデレラグレイ』では尺の都合で割愛されていましたが、ダービーに出走するウマ娘4名は皆、皐月賞かNHK杯に挑み上位に着入りを果たしています。

ヤエノムテキの皐月賞1着はコミックスでもしっかりと描写がありましたね。

その他3名はコミックスでの描写はなかったですが、史実ではしっかりと前哨戦に挑んでいることが確認できます。

この前哨戦勝利者は日本ダービーでの1着有力候補でもある猛者ということ。

サクラチヨノオーはこの猛者を相手に1着を掴んだということを理解すると、この凄さが増す。

加えて日本ダービーに出走したのは総員24名である点も把握すると、よりダービーで1着ということの凄さを味わえることでしょう。

前哨戦について理解したところで、ライバルとの関係性をもっと理解していきましょう。

ディクタストライカ。史実ではサッカーボーイという名の競走馬がモデルとなっているウマ娘。

サクラチヨノオーとは同世代筆頭という関係性になります。

両名とも1987年の8月にジュニア級でデビュー。同年末のGⅠレースを制し、同世代最強として暫定1位の座に就いたのが、この2名なのです。

年が明けてクラシック級へと移行した2名は皐月賞の前哨戦:弥生賞で激突。ここでの軍配はサクラチヨノオーに上がる。この対戦カードは皐月賞でも目撃されるかと思われたが、ディクタストライカが怪我により出走を回避したことでダービーまで持ち越しとなった。

GⅠ:日本ダービーという最高の舞台で再度激突する両者・・・という流れになるわけですね。


ディクタストライカがNHK杯で上位に着入りしたからこそ叶った対戦。なかなかドラマがあると思いません?

サクラチヨノオーとヤエノムテキ。この2名は日本ダービーの前哨戦となる皐月賞で初めて激突します。

結果はご覧の通り、ヤエノムテキが1着。サクラチヨノオーは3着という形。

サクラチヨノオーは一度敗れた相手へのリベンジを日本ダービーで果たしたということになりますね。

サクラチヨノオーとメジロアルダン。この両者はダービでの対決が初めてのものとなります。

サクラチヨノオーは1987年8月にデビューし、GⅠレースを制した猛者。
対してメジロアルダンはデビューが遅く1988年3月にデビュー。デビュー後3戦で全て着入りという好成績の持ち主。

同世代の最強筆頭候補と新進気鋭の傑物が相対したのが日本ダービーという同世代の頂きを決める戦いで1着を競り合ったというのは非常にユニークですね!

前哨戦・ライバルとの関係を把握するだけでも日本ダービーで1着をとったサクラチヨノオーの栄光を讃えるには十分ですが、もう一押しできる切り札をご紹介しましょう。

それは血統を理解すること。

サクラチヨノオーの父に当たる競走馬:マルゼンスキーは日本ダービーに出走できるポテンシャルを持ちながら当時の出走規約に阻まれダービーには参加できない運命を辿りました。

その悲願をサクラチヨノオーは果たしたという構図は血統がもたらす物語として最上の旨みを形成する!

コミックスでは血統という関係性はございませんが、ダービーに出走するサクラチヨノオーに反応するマルゼンスキーという描写が確認できます。

これは著者陣営がささやかながら仕込んだサービスであると思うと、何気ないセリフ配置に粋というものを感じてならない。

いかがだったでしょうか?

今回は日本ダービーを制したウマ娘:サクラチヨノオーの栄光を讃えるべくコミックスでは語られていない情報をお伝えしました。

最後に改めて重要メッセージを厳選して締めとしたいと思います。

同世代の頂点を決めるクラシック3冠の一つ日本ダービー。サクラチヨノオーはその栄光を掴んだ。

サクラチヨノオーはジュニア級の時点で頭角を表しGⅠレース:朝日杯3歳ステークスで1着を掴む。
ジュニア級もう一つのG1レースを制したディクタストライカと共に同世代最強の座に就任。

ジュニア級で一つの栄光を掴んだが、その道のりは続く。

次なる頂きとなる日本ダービーに出走することを確実にするには前哨戦となる皐月賞・NHK杯どちらかにエントリーし、上位2着入りを果たすことが求められる。

皐月賞を制したヤエノムテキ。NHK杯を制したメジロアルダン。

日本ダービーで1着を掴む可能性を持つ猛者が次々と現れていく。

そんな猛者たちを含めて総勢24名が雌雄を決する日本ダービー。サクラチヨノオーは死力を尽くして1着を掴むのでした。

その1着に至る力を引き出せたのは血統がもたらす“何か”が作用したのかもしれません。

最も運のあるウマ娘(競走馬)が勝つと言われる日本ダービー。サクラチヨノオーに剛運をもたらしたのはマルゼンスキーの想いが少なからずあったのではないでしょうか。

それでは今回は以上となります。

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ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。またのご縁をお待ちしております。

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