【レジェンドの蹄跡】セントライト・スピードシンボリ・ハイセイコーの軌跡

ウマ娘レジェンドの蹄跡 ウマ娘

日本勢初となる凱旋門賞への挑戦。
第1次競馬ブームを引き起こし競馬界イメージアップへの多大なる貢献。
史上初となる3冠達成。

三者三様。それぞれの伝説を積み上げたスピードシンボリ・ハイセイコー・セントライトの軌跡をご紹介。

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』の🎞️映画化を心から夢見ています!
ブログ管理人のあーさんです。

本記事では2025年2月、アプリ『ウマ娘プリティーダービー』に追加された新シナリオ「The Twinkle Legends」に姿を表す新ウマ娘3名の足跡を総括した記事となります。

セントライト・スピードシンボリ・ハイセイコー。

レジェンドと評されるお三方の何が伝説級なのかわかりやすくお伝えしていきます。

彼女らと名を同じくする史実の競走馬の足跡を一挙にご紹介して参ります。
活動時期もその方向も全く異なる3名であるということが伝われば何より。

それでは本編スタート!

まずはこの方、スピードシンボリ。
彼女の注目すべきポイントは2つ。

非常に長期にわたる出走期間。
そして、海外挑戦を選択した道のり。

史実の競走馬スピードシンボリが活動した時期が1960年代であるという点にも留意していただくとその伝説の味を堪能できるかと。

デビューを迎えた1965年。初陣から2度1着を逃すもその後は3連勝。その実力は多くの機体を集めたことでしょう。

デビュー2年目となる1966年。上半期は昨年の3連勝という実績を薄める成績が目立つ。だが、9月からの戦績にはその後の飛躍を予感させるとも解釈できる。

特に注目すべきは菊花賞。14番人気で迎えた最も強い馬(ウマ娘)が勝つと言われるレースで2着を掴んだのは大健闘と呼べるでしょう。

1967年。この年はスピードシンボリの実力を世に知らしめたターニングポイントとなった年。
1月〜6月までで4連勝を記録。いずれも中長距離・長距離のレースであることからスピードシンボリの総合力の高さを物語っている。

そして11月11日。遂に海外遠征へ。

結果は5着。日本勢として健闘したといって誇って良い!

1968年。この年は海外遠征は行わずに国内に留まる。
3連勝を刻んでいるのが目を引く。

1969年。再び海外の門を叩く。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスSで5着。ドーヴィル大賞で10着。凱旋門賞で着外。記録こそ華々しいと呼べるものではないかもしれない。

だが、日本勢で初めて凱旋門賞に挑む権利を得た事実は誇るべきものだ。

この事実が後続する日本競走馬の道を切り拓いたのだから。

1970年。遂に引退を迎える。当時の馬齢換算で8歳。ここまで長期間走り抜ける競走馬は数える程度にいない。
そして、引退の年とは思えない功績をマークしている点も驚くべき点。

引退試合となった有馬記念。昨年の有馬記念に続き1着と連覇を飾りターフを後にする。

さてお次はハイセイコーの足跡をご紹介しましょう。

彼女の注目ポイントは地方から中央への移籍。そして連続勝利カウント。

デビューを迎えた1972年。活動拠点は地方の大井。
地方ということで中央よりもレベルが低い競走馬が集っている事実は疑いようがないであろう。

それでもハイセイコーが記録した後続との着差は驚愕に値する!

合計56馬身に及ぶ着差を記録して1着を掴み続けた実力は桁違い。

初年の実績が買われ中央へと移籍。
この移籍でその実績に影が指すとの声もあったそう。だが、中央に移籍後も連勝記録をキープ。その実力を疑うものは1人もいないであろう。

日本ダービーで遂に不敗神話は崩れることとなる。だが、ここで巡り会えたライバル:タケホープの存在はハイセイコーの物語を次のステージへと押し上げるのだから面白い!

この年は第1時競馬ブームと呼ばれ、競馬界のイメージアップに多大な貢献をもたらした。そのブームを牽引し起爆剤となったのは他でもないハイセイコーである。

1974年。ハイセイコーとタケホープのライバル関係は続き競馬界を大きく盛り上げ続けた。

地方から中央への移籍。中央と比較してレベルが低いと言われる地方競走馬が中央のエリートを薙ぎ倒す姿は多くの人に勇気を灯した。たとえ負けてもライバルを得て競り合う姿は敗北が終わりではないこと物語る。

ハイセイコーとタケホープ。同馬が引退を表明し最後の決着をつける有馬記念。1着こそタニノチカラに譲っているが、2着争いを繰り広げたのはハイセイコーとタケホープであった。

観客は1着を掴んだタニノチカラではなくハイセイコーとタケホープの最終決戦に釘付けとなっていたのだから、どれほどハイセイコーが人々の心を魅了し続けていたのか想像するのは容易であろう。

最後はセントライト。
注目すべき点は3冠を達成したこととその出走期間。

3冠達成はその後もシンザンやミスターシービーなど後続する名馬が複数存在する。

だが、セントライトほど短期間でそれを実現する競走馬は今後現れないかもしれない。

1942年。セントライトの出走期間は1年のみ。3月〜10月までなので1年にも満たないと表現した方がより正確。

この期間の間に1着を9回。2着を2回。最低成績の3着は1回。

おかしい。この成績はおかしい!

この短期間に間に横浜農林省賞典4歳呼馬(現在の皐月賞)・東京優駿競争(現在の日本ダービー)・京都農林省4歳呼馬(現在の菊花賞)を制覇しているのもおかしい。

当時の中央競走馬のレベルが現在と比較するとどれほどであったのかは定かだが、デビューから8ヶ月の期間でこれほどの戦績を記録するのは伝説級と評するしかない。

いかがでしたか?
今回は2025年2月、アプリ『ウマ娘プリティーダービー』に追加された新シナリオ「The Twinkle Legends」に姿を表した新ウマ娘3名の足跡をご紹介しました。

最後のまとめてしまいましょう。

それでは今回は以上となります。

当ブログではウマ娘シンデレラグレイの魅力を中心に発信・投稿しております。加えて史実を彩ってきた名馬たちの武勇・物語もご紹介しています。よければ他の記事にも目を通していただければ励みになります。

また別の記事でお会いできることを心よりお待ちしております。

お時間いただきありがとうございました。

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