【3冠馬キラー】カツラギエースの軌跡

カツラギエースの軌跡 ウマ娘

1980年代前半から主人公を選ぶならばこの方!カツラギエース!!

3冠馬(バ)ミスターシービー&シンボリルドルフに背中を負わせた経験を持つ数少ない傑物!!
第4回ジャパンカップで日本の意地を示し、脇役でも主役になれると証明した物語をご紹介。

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』の🎞️映画化を心から夢見ています!
ブログ管理人のあーさんです。

本記事の主役はこの方。カツラギエース。
3冠馬(バ)キラーの異名を持ち、国際試合ジャパンカップで日本勢初となる1着を掴んだ猛者。

もし私が1980年代前半から主人公を選ぶ機会があるのならば、3冠馬(バ)ミスターシービーでもシンボリルドルフでもなく迷わずカツラギエースを選択します。

それほどの物語性を秘めています。

今回はカツラギエースの軌跡を分かりやすくお伝えしていきます。

❶単独の戦績
❷3冠馬(バ)=ミスターシービーとシンボリルドルフとの戦績同時観測
❸第4回ジャパンカップの雑学
❹まとめ

という順番で進行。

それでは本編スタート!

それではまずカツラギエース単独の戦績を追跡していきましょう。

デビューを飾ったのは1982年。初戦から1着を掴む上、後続との差は8馬身を記録したとのこと。

初年の戦績は1着2回、2着1回、3着1回。クラシック戦線での活躍が期待できる記録をマーク。

明けて1983年。皐月賞に至るまでに1勝を重ね、最も速い馬(ウマ娘)が勝つと言われる皐月賞へと挑む。だが、結果は惨敗と評しても良い11着。世代最速の冠をミスターシービーに譲ることになる。

その後も日本ダービー・菊花賞に挑むが全てミスターシービーに軍配が上がることとなる。

1984年。クラシック級の格の整備が実施された年。
ここから飛躍を遂げる!

注目すべきは毎日王冠。3冠馬(バ)となったミスターシービーに2着をプレゼントする!
続く天皇賞・秋ではミスターシービーに敗れるが、国際試合ジャパンカップで1着を掴む快挙!!

引退を迎える有馬(マ)記念。シンボリルドルフに惜しくも敗れるが、2着と肉薄したのは誇って良い最後であろう。

さて単独の軌跡だけでもその強さ・凄さに触れることはできたと思います。

だがしかし!

同期の戦績を同時観測するとその旨みがパワーアップする!

ということで、カツラギエースの軌跡を3冠馬(バ)ミスターシービーとシンボリルドルフの戦績と同時に味わっていきましょう。

1982年はこんな感じ。ルドルフはまだデビューしていません。
初年はカツラギエースとミスターシービーのマッチアップはないのが分かります。

ルドルフがデビューしました。
そしてカツラギエースが幾度となくミスターシービーと戦い敗れるのが1983年。

京都新聞杯ではカツラギエースが1着を掴んでいるので負けっぱなしではない。だが、その後の菊花賞で敗れた時は非常に悔しかったことでしょう。

ここが本記事のハイライト。ここをお伝えしたくてこの記事を執筆したといっても過言ではない!

まずルドルフが3冠を達成したこと。しかも無敗で。

そして、ジャパンカップ3名とも出走していることがわかる。そしてそこで勝利を掴んだのがカツラギエース!!

無敗のルドルフに初めて🥉3着をプレゼントしたこと。2度目となるミスターシービー(10着)への勝利を掴んだこと。海外の猛者が集うジャパンカップで🏆1着を掴んだこと。

どれも歴史的偉業と呼べる代物です。

引退を迎えた有馬記念でも3名とも出走していることがわかります。

2着と惜しい結果で幕引きとなりますが、絶対皇帝シンボリルドルフ(1着)に肉薄したことと3度もミスターシービー(3着)に自分の背中を追わせる体験をさせたことは凄まじいと評する以外ない!

1985年はカツラギエースは引退済みです。しかしここまで来たので、3冠馬(バ)の軌跡も全て載せてしまいしょう。

やっぱりルドルフの戦績がおかしい。

1986年。ルドルフは引退。最後が6着ということで、この3名の中で最も有終の美に近い成績を飾ったのはカツラギエースであったということになります。

カツラギエースが3冠馬(バ)に黒星をプレゼントしたジャパンカップ。

終わっってみればカツラギエースが主役であったと言えるが、レース前は誰もカツラギエースに注目していなかった。

過去3回開催されたジャパンカップ。その全てで海外勢が1着を掴むという結果に終わり、日本と海外のレベルの差を痛感させられる。

そして迎えた第4回ジャパンカップ。3冠馬(バ)が2名も出走を表明するということで史上最高のメンバーで海外勢を迎え撃つ体制が整った。

もし、ミスターシービーもシンボリルドルフも負けるようであれば日本が今後海外勢に勝つ機会を訪れないとまで言われていた。

だが、結果はすでに伝えた通り。誰も予想していなかった“脇役”カツラギエースが海外の猛者にも3冠馬(バ)2名にも打ち勝つのであった。

ここでちょっとした雑学。第3回ジャパンCにて日本勢が2着にまで食い込んだということはお伝えしておかねばなりません。

キョウエイプロミス。

日の丸を背負い、あと一歩のところまで海外勢の追い詰めた競走馬(バ)キョウエイプロミスが日本の意地を見せ、後世に襷を繋いだ。

その襷を受け継いだのは3冠馬(バ)でなく脇役であったことは、誰もが主役になれることを証明した物語であると私は思いたい。

いかがだったでしょうか?

今回はカツラギエースの軌跡をご紹介しました。

さて、最後にまとめといきましょう。

カツラギエースの戦績は1982〜84年の3年間で22戦10勝。

誇って良い勝ち星を記録しています。何より3冠馬(バ)に幾度となく己の背を見せつけ1着を掴んだ事実は記録以上に記憶に残る。

自分も挑んだ3大クラシック。そこで勝ち星を上げた両名に加えて海外勢まで揃う魔境と呼ぶに相応しいジャパンカップで勝利を飾ったことは脇役でも主役になる機会が訪れると示してくれたようで心に勇気が込み上げてくる。

ちょっとだけ補足しましょう。ジャパンカップの出走馬(バ)とその国籍。リサーチに限界があり不明のところも多々ありますが多くの海外勢が日本に乗り込んでいたことがわかります。

そしてベッドタイムというイギリスの傑物、絶対皇帝シンボリルドルフを打ち破って1着を掴んだカツラギエース。

ここに至るまでの物語はメディア化・・・いや映画化に値する。

是非とも多くの方にこの物語が知れ渡る機会が訪れることを祈ります。

それでは今回は以上となります。

当ブログでは『ウマ娘シンデレラグレイ』の魅力を中心に発信・投稿しております。加えて史実を彩ってきた名馬たちの武勇・物語もご紹介しています。よければ他の記事にも目を通していただり、ご友人ご家族とシェアしていただければとても励みになります。

また別の記事でお会いできることを心よりお待ちしております。

お時間いただきありがとうございました。

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