「・・・JCは私たち南半球のウマ娘にとって、世界へ実力を示す千載一遇のチャンス」
ウマ娘:エラズリープライドが放った意味深いセリフの意味を推察。結論=1980年代、ジャパンCは貴重な世界に挑戦できる唯一無二に等しい舞台であった。

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』🎞️映画化を夢見るフリープレゼンターの🦉あーさんと申します。(🏎️タイムマシーンというと“バック・トゥ・ザ・フューチャー”を思い出してしまう)
今回は📚『ウマ娘シンデレラグレイ』第6️⃣巻に登場したウマ娘:エラズリープライドの台詞⬇️に焦点と当てて深掘りしていきましょう。
「・・・JCは私たち南半球のウマ娘にとって、世界へ実力を示す千載一遇のチャンス」
この言葉。皆さんはどう受け取ったでしょう?
私は、何故か心に残り気になってしまう・・・というのが本音ですかね。
コミックス1️⃣3️⃣~1️⃣4️⃣巻でも実施されるジャパンCの結果にも重要な価値を付与する台詞ですので、是非ともこの言葉の重みを実感しておきたいところ。
古畑任三郎を🪞エミュレートして、この言葉の真意に辿り着きたいと思います。
是非、例のBGM、そして故田村正和さんのお声を想像してお楽しみください。
イントロダクション
えぇー、皆さん、初めまして。あるいは、ご無沙汰ぶりです。
今回はどーーーしても、私の頭に残って離れない、あるウマ娘の台詞を深掘りしていきたいと思います。
大人気コミックス📚『ウマ娘シンデレラグレイ』に登場するエラズリープライドさんの言葉。
そのまま読み上げますね。

「・・・JCは私たち南半球のウマ娘にとって、世界へ実力を示す千載一遇のチャンス」
この言葉。中々のスケールを感じさせてくれます。南半球・・・。🌍地球の半分と来ました。
何故、彼女はこのような台詞を放ったのか。
・・・・・・
気になって仕方ありません。頭の中はスッキリさせておきたいものです。
なので、💻ネットを調べて情報をまとめてみました。結構手間だったんですよ。褒めて欲しいくらいに。
・・・まぁ、それはさておき、この発見を自分独り占めというのも怒られそうなので、ここシェアしていきたいと思います。
さぁ、タイムマシーンに乗ったつもりになって当時の競馬界を、見ていきましょう。
1980年代=競馬界の国際化黎明期

えぇーまず、大前提として押さえておきたいのは1980年代とは🏇競馬界が発展の途中にある時期であるということ。
現在の競馬界は、国際的なレーティングの整備、輸送技術の進歩、情報交換の活発化などにより、より多くの国から競走馬が国際競走に参戦できるようになりました。1980年代は、その国際化の初期段階であったと時期なのです。
シングレの時期もニュージーランドウマ娘にとって選択肢が現在とは比較にできないほど乏しかった・・・
こういう時期であったことをまず念頭に入れておいて頂きたいと思います。
ニュージーランド勢の選択肢
次に。1980年代の🇳🇿勢にとって現実的に視野に入る海外での戦場は3つ、ありました。地理的に近い🇦🇺オーストラリア、国際招待試合ジャパンカップを創設した🇯🇵日本、そして凱旋門賞など世界最高峰の舞台が設置されている欧州・欧米。
・・・・・・
―ちょっとこれだけでは説明がざっくりしすぎていますよね。なので、一つずつもう少しだけ深く解説していきますのでご安心を。
地理的特権のあるオーストラリア

ニュージーランドにとって、最も参加しやすい他国のレース地が🇦🇺オーストラリア。ピョンピョン飛んで移動するカンガルーが有名ですね。
ニュージーランドとは地理的な近さ、競馬文化の類似性から、当時から非常に盛んに交流が行われていました。
―むしろ、この時期のニュージーランドのトップホースが、オーストラリアの主要レースで活躍することは、彼らの評価を高める上で不可欠な要素と言えるほど。
ですが!
地理的なアドバンテージで参加しやすいが、同時に同じ南半球同士。
・・・なので北半球勢力に、すなわち世界中に自らの実力を示す舞台とは言い難い点が難点。
エラズリープライドさんの言葉の意味を考えるとオーストラリアだけでは十分とは言い難かったのかもしれません。
国際招待試合のある日本

オーストラリアの次に候補となるのが🇯🇵日本。私たちが今住んでいるこの国ですね。
日本における外国馬が出走できるレースは現在に焦点を当てると有馬記念など豊富ですが、1980年代は現在よりも厳しく実質的にジャパンCのみが選択肢という状況でした。
・・・ニュージーランド、ひいては南半球の競馬界にとってはまさしく千載一遇の舞台。北半球の競馬界の猛者が集い、実力をぶつけ合える戦場でジャパンCは地理的に近いという理由も加味して世界に実力を示す打って付けの舞台舞台であった―そう思われます。
地理的な課題の多い欧州・欧米

欧州欧米の主要レース(凱旋門賞、キングジョージ、ブリーダーズカップなど)への遠征は、当時もトップクラスの馬が挑戦する例はありました。
ですが、現在よりも輸送の難しさや情報網の未発達などから、限られたものでした。
一部のトップホースを除き挑戦することさえ困難と言える舞台であったと考えられます。
史実観測~歴代🇳🇿ジャパンC記録

さて、ここからが私が汗水垂らして頑張った1番の成果物のご紹介。ジャパンカップに出走したニュージーランド競走馬(年代・着順)を一挙にご覧いただきましょう。
・・・
あっ、大事なことを言い忘れていました。
ここの情報は⚠️ネットを探し回ってまとめたリストになります。誤りがある可能性があるのでご注意ください。
* 1982年(第2回): アイルオブマン:9着
* 1983年(第3回): マクギンティ 5着
* 1984年(第4回): リブリッチ (出走回避)
* 1985 年(第5回):ザフィルバート 🥉3着 、スプリットキングストン14着
* 1986年(第6回):ウェイバリースター:5着
* 1987年(第7回): アワウェイバリースター:9着
* 1988年(第8回):ボーンクラッシャー 8着
ボーンクラッシャーとはウマ娘エラズリープライドのモデルとなった競走馬ですね。
* 1989年(第9回):ホーリックス 🏆1着
ホーリックスとはウマ娘フォークインのモデルとなった競走馬です。
* 1991年(第11回):ラフハビット 5着
* 1993年(第13回):ザファントムチャンス 12着
* 1994年(第14回):ラフハビット 7着
・・・とまぁ、こんな具合です。第2回以降挑戦し続けているのが分かりますね。そして、第9回で悲願達成。実に感慨深いものです。
えっ、意外と情報が薄いって感じた?
まぁ、そう思うのも無理はないでしょう。何せ第15回以降が記述されていませんからね。
それもそのはず。第15回以降、ニュージーランド勢はめっきりジャパンCに姿を現さなくなっていくのですから。
私も調べていて驚きました。
では、なぜ彼らはジャパンCから忽然と姿を消してしまったのか・・・
こちらの理由も調べましたので、どうかこれで機嫌を直して頂きたいです。
1990年代、日本から離れていくニュージーランド勢

ホーリックスが1989年のジャパンカップを制したことは、ニュージーランド競馬にとって非常に大きな栄誉であり、当時の世界レコードを樹立したことも相まって、歴史に残る快挙でした。しかし、前述した通り、第15回以降、ニュージーランド競走馬のジャパンカップ出走頻度は減少傾向というか0になります。
この背景には、―いくつかの複合的な要因が考えられる。
そして、その大きな理由の一つに、「他の国際試合の選択肢が増えたこと」が挙げられます。
具体的には以下の通り。
香港国際競走の台頭と国際化の加速

1990年代に入り、香港の競馬は急速に国際化を進め、特に「香港国際競走」(香港カップ、香港マイル、香港スプリント、香港ヴァーズ)が世界中のトップホースを惹きつける高額賞金レースとして確立されました。
ニュージーランドからは地理的に近く、☀️気候なども日本より適している場合があるため、香港への遠征が魅力的な選択肢。何より短距離・マイル路線の有力馬にとって、香港は非常に魅力的な舞台と映ったことでしょう。
オーストラリアでの競走体系の充実と高額賞金化

ニュージーランドの競走馬は元々オーストラリアの競馬と密接な関係にあったとお話ししましたね。1990年代以降、オーストラリアの競馬はさらに賞金体系の充実やビッグレースの創設・高額賞金化を進めました。
特に近年では、「ジ・エベレスト」(2017年創設、世界最高賞金のスプリント戦)や「ゴールデンイーグル」(2019年創設、高額賞金の新設)など、新たな高額賞金レースが多数創設され、オーストラリア国内での活躍が非常に経済的にも魅力的な選択肢となっています。日本への遠征と比較して、輸送や検疫の負担が少ないことも大きな魅力であるのは間違いないでしょう。
日本競馬のレベルアップと外国馬の選定基準の変化

1990年代以降、日本競馬のレベルが飛躍的に向上し、日本馬が国際競走で活躍するようになりました。これにより、ジャパンカップで外国馬が上位を占めることが以前よりも難しくなりました。
このレベルアップに貢献しているのが第8回ジャパンCに出走しているトニービンことウマ娘トニビアンカであるというのも何かの因果かもしれませんね。
そして、JRAが招待する外国馬の選定基準も、より実績と適性を重視する傾向が強まりました。世界中のトップリーグの馬が選択肢に入る中で、ニュージーランドの馬が常に優先的に招待されるとは限らなくなった・・・というのは想像しやすいのではないでしょうか。
また、ニュージーランドから日本への遠征は、検疫や輸送に時間と費用がかかります。これは現在も同様の課題ですが、選択肢が増えることで、より効率的で負担の少ない遠征先が選ばれる傾向が強まったと考えられます。
まとめ〜80年代ジャパンCは南半球にとって貴重な舞台だった

えぇー如何だったでしょうか?
「・・・JCは私たち南半球のウマ娘にとって、世界へ実力を示す千載一遇のチャンス」
エラズリープライドさんのこの言葉の意味。皆様にも何となく重みを感じ取っていただけたのではないでしょうか?
・・・1980年代から1990年代前半にかけてはまだジャパンカップが貴重な「🗺️世界と戦える舞台」でした。
何せ世界に実力を示せる唯一無二の舞台と言っても過言ではありませんから。
1990年代に香港国際競走が整備されるまで、その戦場的価値はあまりにも希少だったのではと私は考えます。
欧州・欧米に挑もうにもリスクの高い挑戦になりかねませんからね。
結に~ホーリックスの勝利の意味・価値の凄さ

エラズリープライドさんの語る「南半球の悲願」がジャパンCで達成されたのはたった1度きり。
これをどう捉えるかは人それぞれ。
差し出がましいようですが、私の見解も申しますと以下の通りになります
「だからこそ、第9回ジャパンCでの“事件”は未来永劫色褪せることなく語り継ぐ価値がある!」
・・・と私は思います。
改めて あ・な・た に問いかけさせて頂きます。
南半球の悲願。この言葉の重みをを知って第8回・第9回ジャパンCをどう捉えますか?
それでは、また!
ご清聴ありがとうございました。

それでは今回は以上となります。
このブログではプレゼンノウハウの提供や競走馬・ウマ娘シリーズの魅力の紹介をあの手この手を駆使して自由に🪽フリーダムに行なっております。
今回は古畑任三郎エミュレートでちょっと推理的要素のある記事だったので、相性良かったのかな〜とか思います。
テキストでどこまで古畑節を表現できているかは分かりませんが、こういった挑戦も面白い!
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。またのご縁をお待ちしております。


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