舞台「ウマ娘 プリティーダービー」~Sprinters’ Story~でも語られたダイイチルビーの路線変更。1957年🇬🇧英国より日本へ輸出された🐴Mairie(マイリー)から始まった“華麗なる一族”の歴史を徹底解説。ダイイチルビーが“成し遂げる”1991年までに及ぶその血統譚を4代の戦績連結観測でプレゼン。

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』🎞️映画化を夢見るフリープレゼンターの🦉あーさんと申します。
今回は「戦績観測シリーズ」。複数の競走馬・ウマ娘の歩みを並べ、競争成績などの数字から関係性を読み解く試みです。
🎯対象はこの4名の牝馬。
- ヤマピット
- イットー
- ハギノトップレディ
- ダイイチルビー
ダイイチルビー以外知らないという方も多いかもしれませんね。彼女らは同じ🩸一族・血統です。ダイイチルビーの母親・祖母といった関係性。
📱アプリで紡がれたメインストーリー第2部でダイイチルビーのインタビューシーンがございました。そこで彼女は母親について少し触れていましたね。舞台の方ではガッツリと触れていました。
この記事ではダイイチルビーの血統……所謂“華麗なる一族”の歴史についてまとめていこうかと思います。
本記事は二部構成。
- 第1部:戦績観測コーナー
- 第2部:観測結果をプレゼン形式で解説
第2部は……当ブログ恒例🪞エミュレートプレゼン version湯川学でお届けします。人気ドラマ『ガリレオ』のあの声を脳内再生しながらご覧いただければ幸いです。
では……観測を始めよう。
第1部:戦績連結観測~華麗なる一族の蹄跡~


1957年:🇬🇧イギリスより日本に繁殖牝馬マイリーが輸出される。

1967年:ヤマピットがオークスを制する。

1975年:イットーが最優秀牝馬に2度選出される

1980年:ハギノトップレディがティアラ2冠を達成する(当時はエリザベス女王杯が3冠目に位置する)

1991年:ダイイチルビーが安田記念とスプリンターズSを制覇。最優秀スプリンターに選出される。
第2部:エミュレートプレゼン START
——華麗なる一族。
当時流行していた小説にあやかって名付けられたマイリーの血統を受け継ぐ良血馬たちの競争成績。何故、僕が今回この観測内容を記事にしたのかについて説明しよう。
華麗なる血族であることを証明していくこと。それは後世になればなるほど重圧が増していったことだろう。——いや、だろうではない。憶測でも仮説でもなくダイイチルビーに双肩にのしかかっていたプレッシャーの重さは計り知れない。その重圧は、まるで臨界点に達した原子炉の炉心圧力のように、外部からは見えないが内部で確実に膨張していった。観測者はその数値を直に測定することはできない。だが、戦績という“実験結果”の偏差から、その圧力がどれほど異常な値であったかを導き出せる。
そのことを1人でも多くのトレーナーに知ってもらう。それがこの記事のミッションだ。以下に、より具体的なダイイチルビーの血統に刻まれていた重圧を解説していくとしよう。
40年間、記録が破られなかったハギノトップレディの偉業

ハギノトップレディが桜花賞(1980年)を制したのはキャリア3戦目。
もう一度繰り返そう。3戦目だ。
この成績は2020年デアリングタクトが桜花賞を制するまで破られることがなかった。わずか3戦目でティアラの頂の一つに辿り着く。これは並大抵のことではない。経験も実力も発展途上の初期段階で女王の冠を頂く。40年間も記録が破られなかったのも頷ける。
レコード記録を樹立し続けてきた血統

ヤマピット・イットー・ハギノトップレディ。3名とも驚くことにレコード記録を樹立している。彼女らのレコード更新は、重力に引かれながらも常に軌道を突き抜ける弾丸のようだった。軌跡を描いた瞬間、それは競馬場という実験場において「既存の定数を書き換える行為」となった。
それも比較的キャリアの早い時期に——だ。
彼女たちが如何に早い段階で自らが血統に恥じない実力の持ち主であったと証明していたのかが分かるのではないだろうか。
エリ女トライアルレースでライバルに・・・

ダイイチルビーのクラシック期最後のレースとなったローズS。このレースで1着を掴んだカツノジョオーはレコードタイムを記録したこともここに記しておこう。
当時、ティアラ3冠目はまだエリザベス女王杯。その🎫優先出走権を獲得するべく挑んだと思われるローズSでライバルホースにレコードタイムを叩き出される。
ダイイチルビーの着順=5着までには優先出走権が発行されるが・・・このレース後故障を患い年内出走不可能となってしまう。まるで実験中に思わぬ外乱が加わり、装置が破損してしまうかのようだ。予定された検証は途絶し、観測データは途切れる。その中断こそが、彼女の物理量に刻まれた“不可逆の事象”だった。
小まとめ—ダイイチルビーに課せられた重圧—

——ここまで述べてきたことを軽くまとめよう。
ダイイチルビーの母親ら華麗なる一族は皆、例外なくキャリアの初期段階で己の実力を証明し血統の名声を高める貢献を成し遂げてきた。
対してダイイチルビーは——デビューは遅れクラシック期にメイクデビューをし、ティアラを戴冠することもなければ…レコード記録を樹立することもできなかった。最後のティアラへの挑戦権をかけたレース:ローズSでライバルにレコードを樹立された上に自分は🩹故障してエリザベス女王杯に挑戦すらできなくなる。
年の瀬の休息期間。彼女の中でプレッシャーは計り知れず、日に日に増大していったことは計測器具を用いなくても読み解くことができる。
華麗なる一族の証明《1991年》ダイイチルビーの躍進

だが、観測結果に記した通り彼女は1991年素晴らしい記録を量産する。
1年間で9戦、最低成績3着、GⅠ2勝(赤いテキストがGⅠの印)。
この成績が認められ、1991年のJRA最優秀5歳以上牝馬最優秀スプリンターに選出される。
彼女はプレッシャーを跳ね除け証明した。己も華麗なる一族の一員であると。それは長い沈黙の後に放たれた閃光のようだった。臨界を超えた核反応は一気にエネルギーを解放し、周囲の全てを照らし出す。1991年のダイイチルビーは、確率論的な偶然ではなく必然として、その光を放ったのである。
結に——

如何だろう?ここまで提示したものは、あくまで僕が導き出したひとつの解に過ぎない。史実の戦績、4名の競走馬・ウマ娘が背負う歴史。それらを結びつけ、1人の観測者として導き出せる事実を見出してみた。
最後に補足すると——華麗な一族の血統は以降際立った戦績を確認することは叶わなくなっていく。遅かれ早かれ、その血筋を継ぐものは・・・途絶える定めにあるのかもしれない。
だが!
その意思を受け継ぐものはいる。君たちも知っているはずだ。
ミームで伝播する華麗なる一族の意思

——ラインクラフト。
メインストーリー第2部でダイイチルビーが“華麗なる一族”を証明するために宿していた意思はラインクラフトに確かに受け継がれていることが描写された。
生物学の世界には“ミーム”という概念がある。ネットミームという言葉があるように、いわば文化の血統・伝承。それがミームだ。遺伝子が物質として複製される情報ならば、ミームは精神あるいは脳に刻まれる波動だ。物理学的に言えば、媒質を変えてもエネルギーが伝搬する現象に近い。血統が途絶えても、文化としてのエネルギーは別の個体に波のように伝わっていく。
たとえ血統が途絶え淘汰されていく運命にあるものであろうと、ミームであればその運命に太刀打ちできる。
彼女らの意思はミームという形で別の誰かに継承されていく。『ウマ娘』というコンテンツが続く限り、“華麗なる一族”の系譜は途絶えることがない——僕はそう思う。
それでは僕のプレゼンは以上。またの機会にお会いしよう。

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エンドクレジット&おまけコーナー

《キャラとキャストは惹かれ合う》声優:磯部花凛さんとダイイチルビーの共通点
ダイイチルビー役磯部花凛さんのグラビア&インタビューがヤングジャンプ2025年No.42特大号に載ったことをご存知でしょうか?
🦉私はグラビアに疎いので、どうコメントして良いのかわかりませんが、とりあえず眼福でしたっ!——とだけ記します(これでいいのか?)
それで肝要なのはインタビューの方、シンデレラグレイ掲載紙&TVアニメ第2クール直前という頃合いもあってシングレに関するインタビューが1ページほど。もう1ページ、ダイイチルビーに関するインタビューもあったのです。
そこで興味深い1文があったので要約したものをご紹介しましょう。
Q——所属事務所:アミューズの貴族と呼ばれる磯部花凛さんですが、ダイイチルビーにシンパシーを感じる部分はありますか?
A——私も幼少時代、遊びよりも習い事を優先する「研鑽」の日々を過ごしてきました。何より負けず嫌い。そういったところが似ていると思います。
とのこと。
ここで記した内容はインタビューのごく1部。その他にも磯部花凛さんご本人の人柄や声優としての意識・舞台「ウマ娘」での役作りなど貴重なコメントが拝見できるので興味ある方は是非ご覧あれ!

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