オグリキャップが巻き起こした騒動によって誕生したクラシック追加登録制度。後に始まる世紀末覇王伝説第1幕に必要不可欠であった制度成立の歴史について第1次競馬ブームを踏まえてプレゼン。

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』🎞️映画化を夢見るフリープレゼンターの🦉あーさんと申します。
1992年、競馬界に導入されたクラシック追加登録制度というものがあるのを皆様はご存知でしょうか?
『ウマ娘シンデレラグレイ』でも語られたオグリキャップがクラシックレースに参戦できなかった物語。これを発端に制度改革が為されて、オグリキャップのクラシック時代=1988年から4年後に正式に始動した制度です。
この制度のおかげで、クラシック登録を後追いで完了できるようになり、テイエムオペラオー・ヒシミラクル・キタサンブラックといったクラシック覇者が誕生する一助となっていく……
この記事では、クラシック追加登録制度が成立する歴史についてオグリキャップ・テイエムオペラオー、そしてハイセイコーについて私の見解を記していこうと思います。なんでハイセイコー?とか思われるかもですが、無関係ではないと筆者は思っているからです。

それではそろそろ本編へと突入しましょう。当ブログ恒例のエミュレートプレゼンversion“杉下右京”で解説していきます。『相棒』の主人公:右京を模倣したテキストで文章を彩っていきますよ。是非、水谷豊さんの声を思い浮かべながら、お楽しみください。
それでは改めて開幕です。
エミュレートプレゼンSTART
日本競馬は常に日進月歩!ターフ・ダートを駆ける競走馬だけでなく、その運営の枠組みも進化を続けてきました。クラシック追加登録制度もその一つです。
オグリキャップが日本ダービーに出走できなかった事実が波紋を呼び、厳格性を重んじるクラシックレースへの参画に変化の潮流を起こしたことは……——ウマ娘シンデレラグレイでもドラマ性豊かに語られましたね。
その劇中にてURA会長がいつか必ず実現してみせるという言質がとられる訳ですが、そのいつかが実現したのはオグリキャップが日本ダービーを逃した4年後!
1992年に正式に制度が導入される運びとなりました。4年という歳月ゆえにシンデレラグレイ本編ではこのクラシック追加登録制度という名称は一切登場しないわけですが……テイエムオペラオーの姿が僅かに描写されたことを濃く鮮明に記憶していられる方も多いことでしょう。
テイエムオペラオーの年明け3連勝が引き金を引いた

テイエムオペラオーはジュニア級時代、決して突出した才能を予感させるような好走を披露していなかった。それが彼(彼女)がクラシック登録を見送られた理由です。
第3回までの登録に要する費用は40万円。安い買い物とは言えません。懐事情と将来性と相談して登録を見送るという判断はベターではありますね。
しかし、そんな初期判断を知ってか知らずかテイエムオペラオーは年明けから3連勝をマーク。
ここで陣営側でクラシック追加登録という選択肢が急浮上。それによって200万円という大金を投資する価値がテイエムオペラオーにあるか否かの論争に発展したようですが、陣営はテイエムオペラオーのクラシック追加登録を決断。
こうして、後に世紀末覇王と呼ばれる1名の競走馬・ウマ娘の伝説の第1幕が始まったわけです。
後に彼が獲得した賞金の累計は18億円を上回る値を記録しています。この額を前にすると・・・200万円という大金でさえ小さく見えてしまう。
競馬とは誠にスケールの大きい世界です。
オグリキャップとハイセイコーの違い

地方から中央へ移籍したといえばオグリキャップよりも以前に先駆者としてハイセイコーがいました。ハイセイコーも年明けに移籍したわけですが、彼(彼女)はクラシックレースに出走できています。
それは何故か?疑問に思う方もいるでしょう。
答えはデビュー前の展望にあります。ハイセイコーはデビュー以前からその恵まれた体躯を有望視され、中央競馬でも戦っていけるポテンシャルを期待されていました。結果的に地方大井所属でデビューするわけですが、その後の目覚ましい記録も相まって10月初回のクラシック登録は実施された。・・・というわけですね。
対してオグリキャップは生まれながら膝に難を抱えていた——ということはシンデレラグレイでも語られ覚えている方も多いことでしょう。父も成績も抜きん出たものがなかったこともあって当初は期待されていなかった。しかし、その期待を裏切る記録を積み重ね中央に移籍するもクラシック登録は未達。
そして、世間を巻き込む波紋を呼び起こしていく。・・・というわけです。
もしもハイセイコーがクラシック登録をしていなかったら
ハイセイコーがクラシック登録をしていなかったら、オグリキャップに時代にクラシック追加登録制度はできていたのか否か……。こんな空想を抱いてしまいます。
しかし、僕個人の答えを記すとそれはなかっただろうという結論に至ります。
それは何故か?
オグリキャップが起こしたムーブメントは大前提として第1次競馬ブームの延長線上にあるから——というのが理由となります。
ハイセイコーを筆頭とする競走馬らが日本に熱を届けた第1次競馬ブーム。そのブームの火付け役は紛れもなく地方からやって来た野武士ハイセイコー。彼(彼女)がアイドル的スターホースとして活躍し、世間の競馬に対するパブリックイメージを陽性に上書きしたという事実は決して軽視できません。
ハイセイコーらが起こした第1次競馬ブームによって競馬が市民権を獲得した。そこから約15年後にオグリキャップらが起こした第2次競馬ブームを引き起こし、世間にクラシックの門の狭さを問う旋風を巻き起こす。
この流れがあった上でのクラシック追加制度の成立。こう考える方がしっくり来ます。
歴史とは不可逆。あくまで一個人の仮説でしかありませんが、存外的外れでもないのではないでしょうか?
まとめ

それではこのプレゼンも最後の大詰めです。改めてクラシック追加登録制度とは何なのか見ていきましょう。

再度この表に登場願いました。ご覧の通り、クラシックレースにでる2週間前に200万円を払うことで第1回クラシック登録を逃した競走馬にも登録を許可する制度。それがクラシック追加登録制度です。
通常であれば40万円ですむところを200万円。高い費用を要求されます。しかし、テイエムオペラオーが証明してくれたようにクラシックレースに出走し勝ち鞍となることでペイできてしまう世界でもある。
重ね重ねスケールの大きい世界。それが競馬というもの。
〜クラシック追加登録制度は第1次競馬ブームからの流れの賜物〜
このクラシック追加登録制度の直接的要因となったのはオグリキャップであることは間違いありません。しかし、彼あるいは彼女が立った環境というのは第1次競馬ブームという歴史の延長線上にあったということもまた事実。
世紀末覇王の伝説第1幕が産声を上げる舞台が整うのにオグリキャップ・ハイセイコーといった一つの時代を作った先駆者の活躍が不可欠であった。もっというと全ての競走馬の歴史の最高到達点がテイエムオペラオーに結びついた・・・。こう解釈できるかも知れません。
僕の解釈混じりではありますが以上を踏まえた上でRoad To The Topを視聴してみるのも良いかもしれません。何故、オグリキャップとテイエムオペラオーの共演シーンが多く設けられたのか。製作陣の粋な心意気が見え隠れしますね。
それでは、今回のプレゼンは以上となります。ご愛読いただきありがとうございました。またの機会にお会いしましょう。

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