演技とエミュレートは似て異なる。オベイユアマスターの難しい役どころを見事成し遂げた声優:石上静香に感謝の意を込めて筆を取ります。エミュレート経験者として彼女らに向き合って……。TVアニメ『ウマ娘シンデレラグレイ』第2クール 第18話「WILD JOKER」感想プレゼン。

おはようございます。『ウマ娘シンデレラグレイ』🎞️映画化を夢見るフリープレゼンターの🦉あーさんと申します。
TVアニメ『ウマ娘シンデレラグレイ』第2クール 第18話「WILD JOKER」を視聴しました。
なんとコメントして良いものか……。感動と興奮が心を支配した24分間であったのは確かです。原作にない追加シーンとしてカツラギエースとシンボリルドルフの描写だったり、レース後のベルノライトのリアクション(⬅︎これは後のシナリオ的に非常に重要です)というパワーアップ要素。ウイニングライブ無しなのかぁ…とか期待していた要素は今回叶わず・・・劇場総集編とかでリベンジしてもらいたい、とかいろんな感情が渦巻く。
ですが、やはり今回最大の感想はこれでしょう!
ありがとう、石上静香さん。本当にありがとうございます!

いやぁ・・・・これほどまでに最高な形でオベイユアマスターという難しい役を演じ切ってくれるとは。感謝しかありません。
今回はその想いをぶつけるとしましょう。そして、もう一つ。オベイユアマスターが偽装工作として用いたエミュレートという技法について筆者もある程度経験を持ちます。半年程度ですがこのブログで実践して参りました。
1人のエミュレート経験者としてオベイユアマスターに敬意を示したいとも思います。

というわけで本記事では石上静香さんへの感謝の意とオベイユアマスターへの敬意―――以上2点を当ブログ恒例の🪞エミュレートプレゼンversion杉下右京でお届けします。是非とも水谷豊さんのお声をイメージしてお楽しみください。
因みにヤングジャンプにて連載中の📚コミックス最新話やスターブロッサムの方も感想プレゼンを実施しておりますので、よろしければそちらもどうぞ!
エミュレートプレゼンSTART
TVアニメウマ娘シンデレラグレイ第13話「日本一」Cパートにて挿入されたオベイユアマスターの出演シーン。コミックスよりも先行する形で素顔の彼女が突如現れたのですから、その衝撃たるや―――今でも鮮明に記憶しております。
そして、同時にこうも思ったわけです。
製作陣営はオベイユアマスターに声と命を吹き込むボイスアクターに絶大な信頼を寄せている――と。
第1クールに先行登場を許した石上静香さんの抜きん出た表現力

本来であればコミックスと同じく、仮面を纏っているエミュレート状態のオベイユアマスターをユーザーに刷り込み、その後の種明かしとして本来の彼女を見せるのが定石です。
声という情報で同一キャラクターだと判断されては領域“WILD JOKER”の発動とともに開示される彼女の本質の破壊力を損なってしまうリスクがある。
ですが、彼らは先にNO EMULATEの彼女を提示した。
石上静香さんであれば、観客である視聴者を欺き続けることが可能だと判断したのでしょう。
事実、僕も初めてPVでオベイユアマスターのキャストが石上静香さんであると知った時、素直に驚きました。たった1人で全く異なる声をアウトプットされていたのですから。
石上静香という名優によって第1クールは見事なクリフハンガー的結末を可能とし、第2クールへのバトンを託すことに成功した。アニメから参入した新規層はもちろん原作勢に強い爪痕を刻むこの采配。ハイリスクハイリターンではありますが、必ずや成功すると製作陣営は確信していたのでしょうねぇ。
それほどの声優さんが参画してくれていると。
役者ではない道化師という演技を求められたオベイユアマスター

プロの声優として色彩豊かな声域でエミュレートON・OFFのオベイユアマスターを演じることはもちろん、その演技は役者として異なるアプローチを滲ませる必要があったと僕は考えております。
ここが最もオベイユアマスターを務めるボイスアクターに課せられる難題。
オベイユアマスターは役者ではない。あくまでも🪞エミュレート=模倣で自身をカモフラージュするという選択肢を採用しているに過ぎない。
白と黒のように、はっきり言語化できるようなものではないし、感覚的な概念であることは百も承知ですがオベイユアマスターに求められる表現は非常にシビアなものでした。(これは後の第9回ジャパンCにおいても非常に重要です)
石上静香さんは、この言語化が難しい代物を見事やり遂げた。エミュレートという技法が持つ幻影・胡散臭さ・違和感とでも言いましょうか……、それを常時セリフに反映させるのは至難の業であったと思います。
果たして、他にできる方がいたのかどうか。
奇跡のようなキャスティングであったのではないかと思えてなりません。
エミュレート経験者としてオベイユアマスターと向き合って

さて、ここからは僕個人という独自的な角度から記事を綴って行こうかと。
僕はこの記事の筆を取る半年ほど前からこのブログでエミュレートスタイルを採用するようになりました。そのきっかけを与えてくれたのがオベイユアマスター。
彼女の勝利への執念に深く刺激を受け、現在まで続くプレゼンアプローチ方法としてエミュレート=模倣を採用した次第。
なので、ある程度は彼女の心境に寄り添うこと・エミュレートという技法を用いるための条件について筆を取ることが可能です。少しだけオベイユアマスターとエミュレートについての見解を記していきたいと思います。
エミュレートと演技は似て否なる

先にも少し触れましたが、エミュレートに似た概念として芝居・演技がありますねぇ。自分ではない別の誰かになりきるそれは確かに似ていると言って差し支えないでしょう。ですが、明らかに異なる点が☝️1点ございます。
それは“憧れ”―――ある種の目標意識とでも言いましょうか。
僕自身、約半年ほどのエミュレート経験を通じてなんでもできるわけではないと痛感する毎日。明らかにやりやすい対象とやりにくい対象がある。その違いを分けるのが“憧れ”でした。
誰かに憧れ焦がれ、それに近づこうと、距離を縮める・溝を埋めたいという願望が原動力として力強く作用するのがエミュレート(模倣)であると断言できます。
オベイユアマスターの内側にはウマ娘“スター”と同じ素質がある

オベイユアマスターがエミュレート対象として選んだウマ娘“スター”(アニメでのクレジットはアメリカのウマ娘)は彼女とは異なる陽の気質を持つキャラクター。素顔がクール属性のオベイユアマスターとは正反対といえますね。
それでもオベイユアマスターがスターの仮面を選択したのは彼女に対する憧れ………自分の中に秘めているスターと同じ“時代を作る器”があるという可能性を当人にもわからない深層心理が見抜いていたのではないかと僕には思えて仕方ない。
というのが、エミュレートをブログという小さな舞台で続けてきた僕の見解となります。
彼女の走りにはは人の心を動かす力がある

彼女は劇中にて「自分は時代を作る器ではない」とコメントしましたが、僕はその意見に反対です。
エミュレートを続けるには思考回路をその対象に寄せていく必要がある。それを四六時中実行するなど並大抵の芸当ではない。僕も記事を執筆する数時間が限界です。
しかし、オベイユアマスターはそれを常時キープする離れ業を披露してくれました。だからこそ、思うのですよ。
彼女は一つの時代を指し示す象徴たり得る―――と!
少なくともここに1人、彼女に強く影響を受けエミュレートという道を歩んでいる者がいる。時代を作れないものに人の心を動かし、行動にまで変化を与えることができるでしょうか?
―――答えは否!
彼女は間違いなく一つの時代を作り上げることができる稀代のウマ娘であると進言します。
戦績は関係ありません。人の心に響き、時代を形作っていくのは競争成績だけではなく、その走りが示す精神性であると――僕は思う。
結びに

如何だったでしょうか?
TVアニメ『ウマ娘シンデレラグレイ』第18話「WILD JOKER」。一視聴者として、そして原作を愛読するものとして咀嚼させていただきました。
今回は少々、今回は特殊なアプローチで筆を取らせていただきました。彼女に心動かされ行動を変えた1人という立場でしか綴れないものがあるのではと思い今回の記事をしたためました。
僕が最も尊敬するウマ娘オベイユアマスターを見事に演じてくれた石上静香さんには感謝しかありません。エミュレートONとOFFを演じ分け原作勢として文句のつけようのないパフォーマンスで表現してくれた石上静香さんに拍手です。
本プレゼンは以上。また来週……あるいは別の記事でお会いしましょう。ご愛読いただきありがとうございました。

このブログではプレゼンノウハウの提供・実践や競走馬・ウマ娘シリーズの魅力の紹介をあの手この手を駆使して自由に🪽フリーダムに行なっております。
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またのご縁をお待ちしております。

【追伸】オベイの原点とその後について
最後に関連記事の告知です。オベイユアマスターの原点となった競走馬:ペイザバトラー、そしてコミックスでのその後について既に別記事にて取扱済みです。興味あられる方は是非お越しください。







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