【キャラクタープレゼン】ウマ娘ミシェルマイベイビー

プレゼンEmulate

身長195cm。シリーズ最大級の体格にも歴史的動揺を反映させた背景がある。アメリカの巨神 ミシェルマイベイビーについてモデル:マイビッグボーイの競争現役時代・2ndキャリア等の海外メディアからの情報を引用してプレゼン。

おはようございます。「フィルム&プレゼンテーション」ようこそ!『ウマ娘シンデレラグレイ』🎞️映画化を夢見るフリープレゼンターの🦉あーさんと申します。

アメリカの巨神、ミシェルマイベイビー。第8回ジャパンCを彩る海外ウマ娘の1人ですね。この記事では彼女について他人紹介プレゼンを敢行してみようかと思います。

コミックスでわかる情報・モデルとなった競走馬:マイビッグボーイ。この2つの角度でプレゼンしますよ!

 

なお、マイビッグボーイについての情報ソースはGoogleのAI:Geminiを活用して国外メディア15記事を参照しました。いや〜〜〜AIってすごいもんですよ!


 

原文まま、お伝えする訳にもいかないので当ブログ恒例の🪞エミュレートプレゼンversion杉下右京でお伝えします。是非とも脳内再生ボイスは名優:水谷豊さんでお楽しみあれ!

僕がミシェルマイベイビーに出会った時、率直に感じたことを一点述べたいと思います。

美しい筋肉———これに尽きますねぇ。

 

失礼。
決して卑猥な意味で言っているのではなく、ウマ娘にしては珍しい筋肉描写に思わず見惚れてしまった次第です。あのジェンティルドンナですら、体格の良さこそ表現できていても筋肉の彫りといったグラフィック・ディテールはオミットされています。それほどまでに貴重な筋肉描写に心ときめいてしまいました。

少々変なイントロになってしまいましたが、気を取り直して米国ターフのトップランナー:マイビッグボーイことアメリカの巨神ミシェルマイベイビーのプレゼンを始まるとしましょう。

まずは基本プロフィールから参りましょう。
名はミシェルマイベイビー誕生日5月6日、身長195cm、アメリカ代表

キャラクターを示す4文字熟語として当てがられたのは明朗闊達。彼女の明るいキャラクター性を端的に示す素晴らしい言葉です。

GⅠを1勝。ジャパンCに参戦する以前にGⅠウィナーになっています。

登場コミックスは第6~7巻:第8回ジャパンC 出走、コミックス未収録(2025年時点):シンデレラグレイ外伝“盤外”にも再出演。

 

 

マイビッグボーイ。ミシェルマイビーのモデルとなった名馬です。

1983年5月6日にケンタッキー州でLillian Bostwick Phipps夫人によって生産。彼の父はOur Hero、母はPretty Special(父Riverman)であり、Phipps夫人の自家生産馬として初期のキャリアを歩みました。

初期の成功として、1986年のローレル競馬場でのジャパンレーシングアソシエーションハンデキャップを芝のコースレコードタイムで優勝。  

その後、1987年11月にPhipps夫人が逝去した後、同馬はPhipps夫人の孫娘であるHeidi Doubleday氏に譲渡され、引退まで同氏が所有者へ 。主要なキャンペーンにおいては、米国競馬の殿堂入り調教師であるClaude R. “Shug” McGaughey III氏の管理下に置かれ、一貫して高水準の成績を維持します 。  

マイビッグボーイの国際的な地位を確固たるものにしたのは、1988年のバーナードバルークハンデキャップ(Bernard Baruch Handicap)での優勝 。このG1勝利は、彼を米国のエリート芝馬として位置づける上で決定的に重要でした 。

この勝利が特に国際的な評価において重みを持つのは、GⅠという競走格付けだけではありません。対戦相手の質にも起因するのです。

マイビッグボーイは、このレースで後に1989年のエクリプス賞芝牡馬チャンピオンに輝く有力ヨーロッパ調教馬スタインレン(Steinlen)を打破 。世界的に読まれる競馬専門誌や業界レポートにおいて、スタインレンのような高評価の欧州馬を打ち負かした事実は、マイビッグボーイの競走能力を世界レベルで証明するものであり、彼が日本へ招待されるための直接的な前提条件となりました。

マイビッグボーイのキャリアにおける最も重要なレースは、1988年11月27日に東京競馬場芝2400メートルで行われた第8回ジャパンカップ(G1)への出走。この競走は、彼の国際的なアイデンティティを決定づけるイベントとなりました。

この年のジャパンカップは、国際色豊かで質の高い競走馬が揃ったことで知られています。シンデレラグレイに目を通している方には説明不要かもしれませんね。 

  • 🇯🇵:タマモクロス・オグリキャップ・ゴールドシチー
  • 🇺🇸:ペイザバトラー・マイビッグボーイ
  • 🇮🇹:トニービン
  • 🇬🇧:ムーンマッドネス
  • 🇳🇿:ボーンクラッシャー

彼ら以外にも数多の強豪が集いました。
 

マイビッグボーイには、R. Romero騎手が騎乗し、C. McGaughey III調教師によって準備され、16頭立てのレースで4着に入線 。米国馬が優勝(ペイザバトラー)し、マイビッグボーイが4着に入った事実は、当時の米国ターフ部門の国際的な競争力を裏付けるものとして、日米双方の業界にレポートされる特記事項でした。

米国はダートが主流。芝はサブ戦場ですからねぇ。国際競争の舞台で上位争いに参列したという事実は当時の業界を大きく沸かせたことに違いありません。

マイビッグボーイが4着に食い込んだことは日本勢による上位独占を阻止し、トニービン(5着)やムーンマッドネス(6着)といったヨーロッパの有力馬よりも上位に入着。世界のトップ5に入る実力馬として広く認められたのです。この国外遠征での成功は、後に米国メディアが彼のキャリアを振り返る際にも、G1勝利と並ぶ重要なハイライトとして繰り返し引用されることになりました。

1着だけが全てではない。  競馬とは誠に奥の深いスポーツです。


1988年のジャパンカップ後も彼は最高レベルで競走を続け、1990年にはGⅡ パンアメリカンハンデキャップ(Pan American Handicap)を制覇しました 。
その他には、GⅠ マンノウォー・ステークス(Man o’War Stakes)、GⅠ ターフクラシック(Turf Classic, Gr. IT)、GⅠ マンハッタンハンデキャップ(Manhattan Handicap)で連続して上位入着するなど、そのキャリアを通じてエリートレベルのターフホースを一貫したと言えるのではないでしょうか。


因みに…生涯成績は50戦10勝、2着12回、3着10回という驚異的な安定性を示し、獲得賞金は $1,196,102に上ります。50戦を超えるキャリアを通じて高レベルなパフォーマンスを維持し続けたことは極めて異例。この耐久性と一貫性は、当時の米国競馬界における耐久性に優れた芝のせん馬の価値を象徴するものであり、国際的な分析家からも高く評価される傾向にあります。
 

競争現役時代だけでも一線級のマイビッグボーイですが、彼の底力はこんなものではありませんよ!

彼は競走馬を引退した後、オーナーのHeidi Doubleday氏と共に、イベントホース(馬場馬術、障害飛越、クロスカントリーを競う総合馬術)およびフォックスハンター(乗馬)として第二のキャリアを歩むのです 。  

🇺🇸米西側メディアではDoubleday氏がMcGaughey調教師の細心の訓練と準備に感謝を述べたコメントが引用・報じられ、馬とオーナーの間に築かれた深い個人的な絆と、彼が乗馬競技という異なる分野で成功を収めた経緯が強調されました。

これは、近年西側の競馬ジャーナリズムで重要視されている「競走馬の引退後(アフターケア)」の成功例として捉えられ、彼の物語に感動的な側面を加えています 。  

ここで☝️1点補足。ミシェルマイベイビーの最たる特徴の一つとして、その体格の素晴らしさが挙げられます。

身長195cm ————現時点で確認できるウマ娘で最大級の背の高さ。これにも大いなるルーツがあるのですよ!

1988年にマイビッグボーイが日本に遠征した際、その馬体が周囲(特に日本の在来馬)と比較して顕著に大きく、当時の日本の競馬関係者やファンに強い印象を残しました。

ミシェルマイベイビーの身長設定……つまりキャラクタデザインには歴史的動揺・ざわめきが反映させられているのです。 

多くの歴史的な名馬が記録の中に埋もれていく中で、この「ウマ娘化」=文化的IP化は、1988年のレースを知らない日本の新しい世代のファンに対して、彼の名前、遠征、そして身体的な特徴を継続的に伝え、そのレガシーを活性化させていく。

マイビッグボーイは、日本の人気マルチメディアコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』フランチャイズにおいて、独特な形で不滅性を獲得したと言えるのではないでしょうか?

 

既にプロフィールの項で解説済みではありますが、改めて彼女のキャリアにとって重要な1ページを記します。

ミシェルマイベイビーは第9回ジャパンCに未参加。出走もしなければ観戦者としても参列を確認できませんでした。

もう、彼女には会えない……。そう思い込んでいた矢先に突如出くわしたのがウマ娘シンデレラグレイ外伝盤外。この作品では、米国を舞台としたスピンオフエピソードが展開され、ミシェルマイベイビーがサプライズ出演されたのです‼️

彼女の存在はいまだに健在。出番こそかなり控えめでしたが、嬉しい限りです。

 

そして、もう☝️一つ。この外伝では米トレセン学園がほんの少しですが描写されました。僕にはどうにもこれが気がかりでして……何かの実験、あるいは伏線なのではないかと睨んでいます。

もしかしたら、米国を舞台とするウマ娘シリーズが展開される……のかもしれませんね。今やウマ娘というIPは国際化を果たしています。存外ないとも言い切れないのではないでしょうか?

そうすれば自ずと…ミシェルマイベイビーも再出演の可能性が浮上してくる。そんな未来があっても良いと思いませんか?
 

如何だったでしょうか?

今回はアメリカの巨神ことウマ娘ミシェルマイベイビーについてご紹介させて頂きました。そのルーツたる競走馬マイビッグボーイ号の歴史についてもプレゼンできたこと大変光栄に思います。

最後に軽くまとめるとしましょう。

 

マイビッグボーイのプロフィールは、主にバーナードバルークハンデキャップのG1勝利によって定義され、それに加えてジャパンカップ4着という成績が、彼のクラスが世界的に通用したことの外部検証として機能しています。
さらに、せん馬としての長寿命(29歳で死亡)と、引退後のイベントホースとしての成功は、現代の米競馬業界が重視する馬の福祉とセカンドキャリアの模範例として繰り返し報じられ、彼のイメージを維持することに大きく貢献しました。

一方、日本国内およびアジア文化圏において、彼の存在は1988年ジャパンカップという歴史的な瞬間に強く結びついています。彼は、タマモクロスやオグリキャップといった国民的ヒーローたちと競り合った強豪として記録に残るだけでなく、彼の物理的な大きさが日本のポピュラーカルチャー(『ウマ娘』)に反映されるという、極めて稀な文化的翻訳に到達。この文化的記憶の永続性は、彼・そして彼女を国際的なレガシー・アーカイブに留まらない、生き生きとしたものにしました。

文化とは人の心に伝播する精神的血統。その血脈は永遠に途切れることないでしょう。

このブログではプレゼンノウハウの提供・実践競走馬ウマ娘シリーズの魅力の紹介をあの手この手を駆使して自由に🪽フリーダムに行なっております。

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