おはようございます☺️映画レビュアーのあーさんです。
今回は2024年8月30日より劇場公開された山田尚子監督の最新作『きみの色』を鑑賞してまいりましたので、その感想記事となります。
🌪️台風が襲来する中で足を運び、土曜の朝一番(8:10〜)の上映会を選択したこともあり劇場は通常時よりも人が少なめで空席が目立つ状況。
しかし、作品のクオリティは素晴らしかったのでその空席が埋まっていくのも時間の問題でしょう!
さて本題のレビューですが、これがなかなか難しい!
本作品は名作で傑作であることは疑う余地がないのですが、わかりやすくテンションが上がるシーンが少ないこと少ないこと。いい意味で薄く味付けされた映画。
映画レビュアー的にはわかりやすくこのシーン良かったよーと高らかに宣言できるシーンがある方が書きやすい。しかしながら、本作品は意図的に山場と谷間の起伏を控えめにしている印象がありレビューしやすいシーンが少ない。
ということなので、普段のレビューとは違った角度での執筆をしていきます。作品の「舞台」と作品が観客へ伝えようとしている「感情」に焦点を当てて分析していきます。
結論:一生「色」褪せない青春の1ページを覗いたかのような映画
まずは結論から。この作品を簡潔に言い表すなら、
一生「色」褪せない青春の1ページを覗いたかのような映画
という表現に辿り着く。
この作品は非常に地味な場面が多く、わかりやすく観客がテンションをあげるシーンが少ないです。しかし、丁寧で繊細に積み重ねていく人物描写や作品を彩るBGM・音楽・環境音が作品のディテールをアップし、じわじわと心に響いていく。
決して山田尚子監督の過去作品『たまこラブストーリー』や『リズと青い鳥』のような強烈なインパクトを与えてくるような作品ではないがゆっくり丁寧に肌と心に作品のテイストが染み込んでいくかのような心地よい感覚が味わえる作品に仕上がっている。
作品の本質を知りたかったら「舞台と感情を読みとけ」と、とある漫画家から教わりましたので、その教えに習って作品を紐解いていきます。
物語の舞台:「優しさと厳しさ」を備えた人で溢れたストレスフリーな社会
物語始動時、メインキャラ3名=トツ子・きみ・ルイの3人は誰かに話せない悩みを抱えていた。
トツ子は人が色で見えること、そして自分の色が何かわからないこと。
きみは祖母からの理想像を演じ本当の自分とは異なる自分で日々を過ごしていたという**嘘**と、祖母に無断で学校を退学したということを祖母に言えずじまいでいること。それにより結局、学校に通っている振りという偽りの姿を演じるという延長戦状態になってしまっている。
ルイは母親からの期待を背負い離島の病院の跡取りとして勉学に励みつつも音楽にも熱中していることをカミングアウトできずにいること。
三者三様。それぞれ方向の異なる悩みを抱えている。この映画は登場人物皆が善人属性と言って良いレベル。それによりストレスフリーな作品になっているが、それでも人の悩みというのは尽きないというのが作品のリアリティを底上げしている。
この舞台設定が中々他の作品では見られない独自性を秘めている。
通常、作品にはわかりやすく観客・視聴者・読者からヘイトを集める悪役というものが設けらるパターンが多いです。悪役がいない場合は薬にも毒にもならない日常系ドラマ・アニメ(例:サザエさん)になることがほとんど。
『きみの色』にはヘイトを集めるようなキャラクターが確認できない。無断で寮にきみを宿泊させたトツ子に罰として反省文と奉仕活動を命じる校長に対しても当然の対応をしただけで観客としてストレスを感じることがなかった。その校長の指示に対して学校を去ったきみにも同じ罰を与えるように発言したシスター日吉子もきみが罪悪感から解放される機会を設けただけなのでむしろ善意ある行為として好意的に捉える他なかった。ルイに病院を継ぐ重荷を強いている可能性があった彼の母親もまともな人物であることは少ない描写から推察でき病院を継ぐことはルイの選択であることがわかる。
作品が観客へ伝えようとしている感情:自分らしさを受け入れてくれる人がいる「喜び」
優しさと厳しさを併せ持つ人が多くいるストレスフリーな環境に身を置く3人が抱える悩みを一纏めにとすると「自分らしさを曝け出せる相手がいない」ということになります。
自分の好きを他人に打ち明けられない。他人に遠慮・配慮して気遣い過多になっている。と言った人なら大なり小なりやってしまっていることへの悩み。それは自分や自分が属するコミュニティを守るための行為であるがずっとそれを続ける、抱え込んでいると自分を追い詰める刃となってしまう。
この映画は3人が出会うことでこの悩みが解決していく過程が丁寧に描かれています。決して起伏が激しいわけではないのでカタルシス的な要素は控えめだが、だからこそ丁寧に繊細に積み重ねられ3人の共通点である音楽を通じて「お互いの好きと秘密を共有し合える関係」に至っていく。
きっかけは偶然通りかかった🐈白猫に連れられてトツ子が古本屋に足を踏み入れたこと。その店ではきみが働き、ルイが客として滞在していた。その古本屋「しろねこ堂」にトツ子が運命的なタイミングで辿り着き、3人が出会ったことが物語の歯車を進めていく。
3人の出会いから物語はギアを上げ、トツ子ときみはルイがいる離島に足を運びバンド活動を始めていく。バンド活動を始めたと言っても機材は不十分だし、実力も高いとは言い難いメンバーばかり。心を動かすような演奏技量が披露されるシーンがやってくることはなく画的に派手さにかけてインパクトはないシーンが続く。(ルイのテルミン演奏は魅力的であったが画面映えしない)
とことん地味なシーンが多い作品だが、3人が出会いそれぞれの感情が弾んでいくことは観客に伝わってくる。
3種のアイスクリームからそれぞれ好きなものを言い合うシーンに込められた意味
何気ないシーンだし、バンド活動=音楽と接点の薄いシーンですがこの🍨アイスクリームの好きなものを言い合うシーンは3人がそれぞれの内面を曝け出して良いというふうに互いに認識しあった重要な場面であったと思います。
3人はこれまで自分らしさをセーブもしくは偽って生きてきた。
その3人が同時に好きなものをオープンにしても良いと相手を認め、それまでの自分と決別した場面であったと感じました。
結論のまとめ
物語の意味合い的な舞台はストレスフリーな社会。(作品のロケーション的な舞台は長崎県)
メインキャラが抱える悩みはそんな優しい社会でも悩みは尽きず、自分らしさを押し殺して生きていくことへの苦しみ。
作品が示した物語はメインキャラが抱える悩みが3人の出会いをきっかけに変化し、自分らしさを受け入れてくれる人がいることへの喜びという感情を観客へシェアした。
この作品は本当に起伏が少なくてレビュアー泣かせです。描きやすい目玉となるポイントが少ない。全くないわけではないので数少ないわかりやすい見所は後述させていただきますが、他のレビュアーと被りやすそうで心配です。
話しが脱線してしまいましたね。
脱線から復帰しますとヘイトを集めるキャラクターがいないことでドラマ性が生じづらいデメリットを抱えつつみ観客としてもストレスが少なく見やすいメリットがある。そのデメリットが映画という料金前払い式のメディア的に大きな課題となるが、たとえどれだけストレスの少ない環境でいようと人間の悩みが尽きないというところにフォーカスし深掘りしていくことで丁寧で繊細なドラマが構築されていくということを証明した傑作でした。
作品の魅力3選
とりあえず総評を終えたところで個別の魅力について綴っていきましょう。
音楽だけじゃない!耳に届く「音」一つ一つが鮮明でハイディテール
本作品は青春バンド映画。なので音楽は言わずもがなクライマックスを盛り上げる最たる魅力となっていました。
しかし、「音」も素晴らしかったので褒めちぎっていきたい。
『きみの色』では「BGMがないシーンが結構ありました。そこで観客に届くのはキャラクターのセリフと環境音。この環境音が鮮明でディテール豊かで耳に届くと心地よさを与えてくれます。
登場人物たちが歩いている床の素材に応じてなる足音。特に印象的だったのはしろねこ堂の木製の床を歩いてるトツ子の足音は小気味よくキャラクターの声量に負けない存在感を発していた。他には人間は動作する際に発生する付随音。衣服などの布が擦れる。食器や楽器を触る時に生じる音など、一つ一つの音が存在感を発揮しており、バンド活動が本編で始まる前から観客の耳を魅了してくる。
映画館という閉塞的で外部からの情報を遮断した空間で耳に届く豊かな音の数々は心地よい感覚をもたらしてくれます。
聖バレンタイン祭でのライブパート
わかりやすく本作の目玉となるシーンであるライブパート。
3曲のオリジナル楽曲が披露され、1曲目から2曲目、2曲目から3曲目と進むごとに徐々に観客の心を掴んでいく様が見ていて心が温まる。
このライブパートにはバンドの良さと、ライブの良さが詰まっていた。
ライブで演奏するパフォーマーの熱量・姿勢・感情が視覚情報として伝わってくるのが心に響く。それに当てられるのは劇中の人物も同様で会場の客がライブの雰囲気を形作っていく過程は意図して作ることのできないエネルギーを帯びていた。観客の高揚に合わせて演者のパフォーマンスも引き上げられ、歌唱するきみの額に滴る汗が美しく輝く。
また、印象に残ったのがライブをする演者が観客ではなく3人で顔を向き合わせるシーンやピアノ・キーボードを操作するトツ子が手拍子をするなど、直接音楽を奏でることのないパフォーマンスをしている点。歌唱担当のきみが観客に背中を見せ3人で円を組むような構図は3人の連帯感やチームワークをこちらに伝えてくる。トツ子がピアノ・キーボードを弾かずに手拍子をするところは会場に雰囲気を楽しいものとする効果を与え楽器を弾くことだけがライブを盛り上げる要素ではないことを示してくれた。
3曲目の「水金地火木土天アーメン」の演奏中が1曲目の時にはまばらで人がいない空間の方が目立った会場中に人が増え、シスターたちが踊る姿が楽しく描かれていて普段無表情気味のシスターらとのギャップ効果もあって盛り上がり具合が素晴らしかった。
この時、会場を去るシスター日吉子が誰もいない廊下でダンスをするシーンがずるい!なんで盛り上がっている最中の会場から立ち去るかと思ったら感情の赴くまま、トツ子が見せた踊りを真似したくなったというオチが彼女の高揚感を物語っていた。
きみが抱く淡い恋心
物語序盤から観客にはモロバレだったきみのルイへの恋心。
ルイからきみへは友情でしかなかったでしょうが、彼女の人生の一部分だけでも覗かせてもらった観客の立場として応援せざるを得ない。
きみがバンド活動を通じてルイへアプローチを仕掛ける場面は全くなく、彼女の恋心は観客とトツ子のみが知るだけで終わるかと思いきや、ラストの埠頭での場面が一泡吹かせてくれました。
進学の都合で離島から船で旅立つルイ。そんなルイに直接会いに行って言葉を交わすことをしなかったきみだが、「会いに行かなくて良かったの?」と問いかけるトツ子に対してまたすぐ会えると言い放ち、出航する船を追いかけるように埠頭を全速力で駆け抜けバンドのシーンでも出さなかった大声で
「頑張ってぇぇぇぇ!」
と何度もエールを送る。
このシーンを見ていたら勝手に瞳が潤んできてしまった。
決して恋心を直接伝えるシーンではなかったが、ルイに想いは届いたと信じたい。クールな少女がらしさをかなぐり捨てて全速疾走と最大級の大声でエールを送ったのだから。
終わりに
今回は山田尚子監督の最新作『きみの色』をレビューしました。
決して派手ではないし、人によっては退屈に感じてしまうかもしれません。
しかし、私の心にはじわじわと作品の放つ光が染み込んできた。
食事で例えるならメインディッシュではないが食後の☕️コーヒーのような作品と言えるでしょうか。
キャスティング的にも大衆路線であることは間違いないし、一度見ただけで満足というような作品でもなく時折見返したくなるような不思議な魅力が詰まっている映画です。
山田尚子監督にセンスが溢れた「らしさ」全開の映画で、鑑賞している時は監督からのメッセージを受け取り読み取っていく面白さもあります。
まだまだ監督からのメッセージを受け取り足りない自分がいるので、今後の新作映画にも期待しつつ今回『きみの色』を制作してくださったことに感謝です。
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