公爵夫人の誇りを背負い応えたボーンクラッシャー号の継承者こと英国の貴婦人ムーンライトルナシー。モデルとなった競走馬ボーンクラッシャーにまつわる情報と合わせてキャラクターについて他者紹介プレゼン。

おはようございます。「フィルム&プレゼンテーション」ようこそ!『ウマ娘シンデレラグレイ』🎞️映画化を夢見るフリープレゼンターの🦉あーさんと申します。
🇬🇧英国の貴婦人、ムーンライトルナシー。第8回ジャパンCを彩る海外ウマ娘の1人ですね。この記事では彼女について他人紹介プレゼンを敢行してみようかと思います。
コミックスでわかる情報・モデルとなった競走馬:ムーンマッドネス
———この2つの角度から紹介していきます。

因みに!
ムーンマッドネスについての情報ソースはGoogleのAI:Geminiを活用して国外メディア53記事を参照しました。ほんの数分で53記事分を日本語に訳して要約してくれるので凄いですよ、全く!もっとも正確かどうか確かめるのは難易度very hard。私、英語は未熟なのでここはGeminiを信じるしかない。

原文まま、お伝えする訳にもいかないので当ブログ恒例の🪞エミュレートプレゼンversion杉下右京でお伝えします。英国と右京さんの親和性が抜群ですので、是非とも脳内再生ボイスは名優:水谷豊さんでお楽しみあれ!
エミュレートプレゼンSTART
競馬の本場、イギリス。英国競馬の起源は16~17世紀。王侯貴族の娯楽として発展し、とくにチャールズ2世(在位:1660–1685)が熱心な愛好家。彼を筆頭に王侯貴族たちは“速さの美学”を嗜みとして磨き上げました。
「走ることに品格を」──それが英国競馬の始まりです。
そして、時が流れること現代。競馬は「国民的スポーツ」の一つとしても地位を確立。国民だけでなく国外にも輪を広げ、「ジョッキー」「ハンデキャップ」「ステークス」などの用語も英語=英国競馬発祥の語彙が世界基準—————と、このように競馬を語る上でその源流に位置するのがイギリス。
そんなイギリス出身の名馬をモデルとするのがウマ娘ムーンライトルナシーです。ついに彼女についてプレゼンできる時が来たかと思うと感慨深さが込み上げてきますねぇ。
基本情報(プロフィール)

ムーンライトルナシー
誕生日は3月1日。身長160cm。
キャラクターを示す4文字熟語は威風凛然。

実績:GⅠ 2勝(英1勝、仏1勝)

登場コミックスは第6~7巻:第8回ジャパンC 出走、第13~15巻:第9回ジャパンCでは観戦組として参戦。
ヒストリー《ラストラン》第8回ジャパンまでの道のり

コミックスでは明かされることのなかったことなのですがムーンライトルナシーにとって第8回ジャパンCはラストラン。その最後の花道となった記念すべきレースでもあるのです。
そこで、彼女のモデルとなった競走馬:ムーンマッドネス号がどのようにしてジャパンCまでの蹄跡を刻んでいったのか3STEPで解説ていきたいと思います。
season1:英《菊花賞》セントレジャーSの覇者へ

ムーンマッドネス(Moon Madness, 1983年3月1日生、牡、鹿毛/青鹿毛)は、1980年代中盤の英国長距離戦線を彩った傑出したステイヤーです 。
彼のキャリアの決定的な偉業は、英国クラシック三冠の最終戦であり、最長距離を誇る1986年ドンカスターにて執り行われたセントレジャー・ステークス(G1)の制覇 。この勝利は、伝統とスタミナが重んじられる英国競馬界において、彼を確固たる地位に押し上げました。
season2:古馬戦線を彩る傑物の評価軸とされる

セントレジャーを制し、長距離クラシックホースの地位を確立した後、ムーンマッドネスは古馬として欧州の最高峰レースへと挑戦。この時期の彼の評価は、同時代の偉大なチャンピオンたちとの対決によって相対的に決定されました。
1987年キングジョージVI&QES (G1) の構図
ムーンマッドネスが直面した最大の試練の☝️一つが、1987年7月のアスコット競馬場で行われたキングジョージVI&クイーンエリザベスステークス(G1, 12F/約2400m)。このレースは、まさしく「力の審判の日」。当時の欧州中長距離戦線における最強馬決定戦であり、参戦メンバーの豪華さから英国メディアの注目を一身に集めました。
出走馬には、同年のダービーとセントレジャーを制し、ヘンリー・セシル師がフランケル以前に管理した中で最高評価の馬とされるReference Point 、フランス/英国/アイルランドのG1を制したタフな牝馬Triptych 、ドイツの雄Acatenango、イタリアのTony Bin(ウマ娘トニビアンカのモデル)、そしてセントレジャーのライバルであったCelestial Stormなどが含まれていました 。
ムーンマッドネスは、前年のセントレジャー優勝馬、およびサンクルー大賞優勝馬として、古馬の「強力なラインアップ(formidable line-up)」の一角を担いました 。
レース結果と能力の相対的評価
レースは、スティーヴ・コーテン騎乗のReference Pointが先頭を譲らない(making all the running)戦術で圧倒的なペースを作り、そのまま3馬身差で圧勝するという形で決着 。ムーンマッドネスは、この頂上決戦において4着という結果に終わりました 。
この結果は、彼の能力の絶対的な限界を示すものとして専門メディアに受け止められ、Reference Pointは、その勝利を「彼らを圧倒した!(annihilated them!)」と形容されたのに対してムーンマッドネスは3着のTriptychからさらに5馬身遅れて入線しており、Reference Pointの異常な能力を際立たせるための基準点(yardstick)として報道されました 。
これらの報道からは少々不名誉な印象は拭えないのは確かです。
season3:欧州大陸GⅠ戦線での功績

Reference Pointとの対決では劣ったムーンマッドネスでしたが、その他の欧州G1戦線では一貫して高いレベルの競争力を維持する。彼は英国の長距離ホースとしてだけでなく、大陸の主要レースでも実績を残したのです。
4着に終わったキングジョージVI&QES から少し時計の針を戻しましょう。
1987年7月、フランスに遠征し、サンクルー大賞(G1, 2400m)にて優勝するという快挙を果たしています。これは英国クラシックホースがフランスの権威あるG1を制したという点で、重要な国際的評価の獲得となりました。
さらにドイツにおいても、最高峰レースの一つであるバーデン大賞(G1, 2400m)で2着に入線しており、彼が長距離から中距離までこなせる汎用性を持つ、タフで堅実なトップステイヤーであったことを示しています 。
彼は1988年の5歳時にもコロネーションカップ(G1)で3着、ヨークシャーカップ(G2)で1着を記録するなど、長期にわたって欧州の最高レベルで活躍し続け、国内ではなく国際レースジャパンCをキャリア最後のレースとして選出される運びとなるのでした。
補足~貴婦人設定のルーツ~

ここで☝️1点補足。英国の貴婦人と称されるムーンライトルナシーですが、イギリス出身だから貴婦人という設定になった訳ではありません。より強力な根拠があるのです。
英国競馬の報道において、競走馬の成功は、しばしばその馬を取り巻く歴史的な文脈、特にオーナーシップの血統と厩舎の伝統と密接に結びつけて語られます。ムーンマッドネスの場合、その背景は、英国の貴族文化と深い関連性を持っているのです。
オーナーシップ:ノーフォーク公爵家の競馬伝統
ムーンマッドネスの馬主および生産者は、アランデルのラヴィニア・ノーフォーク公爵夫人(Lavinia Duchess of Norfolk C.E.B.) 。ノーフォーク公爵家は、英国で最も古い貴族の一つであり、その競馬への関わりは長きにわたります。公爵夫人の夫であったノーフォーク公爵は1974年に亡くなりましたが、公爵夫人はその後も競馬への情熱を絶やさず、自家生産の馬でクラシック制覇を目指し続けました 。
ムーンマッドネスが1986年にセントレジャーを制したことは、単なるスポーツの勝利以上の意味を持ち、英国の報道機関は、この勝利を貴族階級が担う英国競馬の歴史と伝統の堅守として意義深く報じました 。公爵夫人が夫の死後も競馬活動を続け、長距離クラシックタイトルを獲得した事実は、伝統的なオーナーブリーダーの情熱と持続性が報われた物語として、一般の競馬ファンからも大きな敬意を集める要因となり得たことも容易に想像できますねぇ。
このように馬主であり生産者ラヴィニア・ノーフォーク公爵夫人への敬意の具象化として“貴婦人”というキャラクター設定が採用されていると見るのが妥当でしょう。
ターフの外で輝く個性~貴婦人設定とのギャップ~

貴婦人設定に相応しくエレガントな言葉遣い・所作を常用するムーンライトルナシーですが、ラストラン後は少々印象が柔らかく変化します。
年相応の女性にグッと距離を縮め、表情がより豊かに物腰もとっつきやすくなっていくのです。
第9回ジャパンCに出走する後輩2名のうち1名にイブビンティというウマ娘がいるのですが、少々元気が有り余っている方でして…。その方と絡むとツッコミ役に回ってしまうのもムンライトルナシーの魅力です。
クールビューティーな第1印象とのギャップ、是非多くの方にご覧いただきたいものです。
今後の展望~最終章での再出演に期待~

2025年10月時点、コミックスでの最終出演は第3章“永世三強篇”。ここで出番が打ち止めになっている状態です。
海外ウマ娘であることと引退済みであるという観点で容易に再出演できないポジションであることは確かですが、大変魅力的なキャラクター。主観的に抱いているもっと英国出身ウマ娘に出番を!———という願望を脇においてもこのまま出番なしで終わらせるには惜しいと客観的に断言できます。
最終章——あるいはアンソロジーコミックなどの別媒体で主演という試みも素敵だとは思いませんでしょうか?「ぱかっチューブ!」でゲーム実況などもアリですね!
もちろん、本家本元アプリ『ウマ娘プリティーダービー』への参戦も期待したいところです。
クロージング

如何だったでしょうか?
今回は英国の貴婦人ことウマ娘ムーンライトルナシーについてご紹介させて頂きました。そのルーツたる競走馬ムーンマッドネス号の歴史についてもプレゼンできたこと大変光栄に思います。
最後に軽くまとめるとしましょう。
ムーンマッドネス号に対する英国メディアの報道は、常に二重の評価軸によって特徴づけられてきました。
☝️一つは、ノーフォーク公爵家という伝統あるオーナーシップのもとでクラシックを制した**「伝統の守護者」としての称賛です。
☝️もう一つは、翌年、Reference PointやTriptychといった真の時代を象徴するチャンピオンたちとの対決において、彼がそれらの偉大な馬の能力を測るための「強者の基準点」**として機能したという、相対的な位置づけ 。この分析を通じて、彼が英国競馬史において達成した真の能力と、トップホースとの間に存在する微妙な隔たりを明確にする形で一つの結論が出ている状況。
歴史は、しばしば勝者の記録によって彩られます。しかし、英国競馬の魅力とは──敗れてもなお、品格を失わぬ者に宿るのです。ムーンマッドネスの名を継ぐウマ娘ムーンライトルナシー。
彼女は、かつて“基準”とされた馬の誇りを背に、産声を上げました。
過去は変えられなくとも解釈と未来は変えることができる。ムーンマッドネスの評価を上書きするはウマ娘:ムーンライトルナシー。その物語が、コミックス、そしてTVアニメ『ウマ娘シンデレラグレイ』にて紡がれようとしています。
そして彼女を目の当たりにする“あなた”です。
是非とも新たな歴史の著者としてムーンライトルナシーの魅力を多くの方に喧伝してみてください。

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